政治家は、官僚が主導権を持っていることに問題があると言っているが、官僚からすれば政治家に主導権を持たれては大変だと思っているだろう。


何故、お互いがそう思うのかといえば、恐らく感情的な問題に過ぎないと思う。前にも書いたように、彼らはお互いに近くでモノを見過ぎている。遠くから見るという習慣がない。言い換えれば全体が見えないヲタクである。


立法府にいる政治家と、行政府にいる官僚、三権分立の二権にいる人たちに共通することが一つある。


それは、お互いにやりっぱなしということである。法律は作りっぱなし、執行はやりっぱなし・・・


大事なのは、作ることでも実行することでもない。それらが及ぼす結果であり、その結果の検証によって行われる改善・修正である。二権とも、いや三権とも、その発想は全くない。


自分達は正しい考えに基づいてことに当たったのだから、正しい結果が出る。出ないのは、立法が悪い、執行が悪い、判断が悪いと、自分たち以外に問題があると思っているところであると思う。


この考えは、教師や親が基本的に持っているから、そうなるのである。先祖代々の言い伝えみたいなものだ。


私は、やることよりも、それをやったことに対してどういう結果が出るのか、というのに一番興味がある。だから、他人もそうだと思っていたのだが、むしろ、そういう人は少なくて、思いを実行することに興味があるようだ。


何百時間という労力と何百億円という巨費を使ったことで、一体世の中がどう変わるのか・・・?


言い換えれば、自分が行ったこういうによって、どういう変化が起こるのか?ということは気になるのが普通ではないのだろうか。


結果として、そういう基本的な思いがないから、そういう基本的なシステムがない。これが、最も致命的な欠陥であると思う。


誰が主導するという問題ではなく、検証・改善・修正という重要なセクターが欠如しているのだ。もし、これがコンピュータシステムであればどうなるのか・・・・どんなに有能なハードであれOSであれ、各種プログラムであれ、機能不全に陥るだろう。


人の成長とは、常に反省によって行われるのと同様に、社会の成長、国家の成長というものも、検証と改善・修正によって成長するはずである。このシステムを築けるのが市民だと私は思っている。外部の素人でしか成せないことだと思う。