義務教育というのは、ご承知のように学校に行かなければならないという義務ではなく、国民に等しく教育を受けさせる義務ということから、その名がついています。
これを大いに勘違いして、学校は行かなければいけないところと考えている人は多いものです。
私は、日本を変えるために一番先に教育を変えなければいけないと思っています。それは、子どもたちの健やかな成長のため・・・未来を無限に広げるため・・・です。
まあ、しかし、そういうことを言っている人は多いもので、今更言われてもね・・・ピンと来ないという人も多いと思います。実は、そういうことを言いながら、実は、子どもたちの能力を殺ぎ、可能性を消しているのが今の学校教育であります。
国家が教育をやるとそうなる・・・・国家は国家に都合の良い国民を育てようとするからです。これは自然なのです。坊主が坊主を育てようとするのに似ているかもしれません。
人が皆違うというのは原則であり、原理であります。しかし、それを認めては国家の教育は成り立たない。だから、口ではそういいながら全く逆のことをする。まあ、言い換えれば嘘をつくわけですね。それも良かれと思ってつく嘘です。
実は、そういう基本が教育されてしまうということが、教育の怖さでもあります。教育とはお題目によって育まれるのではなく、隠された目的によって育まれるということです。分かりやすく言えば、嘘がつけない場所であるということ。
そして教育界、教育現場は、嘘で固まった伏魔殿と化すわけです。そこにいるのは、もはや人間ではなく神の衣装をまとった悪魔である。宗教界も似たような現実を持っていますが・・・
そういう場所に純粋無垢な子どもを置くのは非常に危険であると思っています。学校というものを再構築出来れば良いのでしょうが、これは不可能であると判断します。
では、子どもたちの成長をどう育むのか・・・?これは、昔の日本人を見習うべきだと思っています。全ては親が教える。もちろん、様々な学習は別です。それは、今でも様々な民間が担っているし、インターネットで出来ることは山ほどある。
つまり、学校に押し付けていたことを戻すわけです。しかし、多くの場合、共働きだとか過程の事情で、それが出来ないという人が大勢います。で、そういう人たちの支援を今使っている教育予算で行えば、親を過程に帰すことが出来るのではないかと思います。
国を守る。国の未来を考える。それは、そこで暮らす人を守ることであり、未来を考えることであります。そこで暮らす人はどこにいるのか・・・それは、家族の元にいる。いや、家族と共にいなければいけない。そこでこそ、人は健全に育まれるのではないでしょうか・・・
それを支援するのが国の役目であり、責任であり、義務であると私は思います。