人類の未来を考えるに、何を基準にしなければいけないかと言えば、やっぱり「幸福」というものになると思う。
しかし、今の世の中は、それを考えさせる余地を与えないのである。何故なら、それによってパラダイムは激変するからなのだ。
幸福という価値観は、実は何かによってもたらされるものではない。人が感じるかどうかという感覚である。もちろん、幸福そうに演じることはいくらでも可能であるが、それはきっと虚しいものであり、本人だけが知っているものである。
幸福とは、満足から来るものであるのは間違いないだろう。問題は例えば、どれ位で満足するかである。その尺度をモノにしてしまうときっと満たされることはないだろう。それは、器が大きくなるというよりも、ざるに水を入れるのと同じような意味でそうなると思う。
そういう満たされない思いが、幸福という概念を根底から壊していくのかもしれない。それは、きっと宛のない旅のようなものであり、楽しいというよりも苦痛に感じるのではないだろうか。そういう思いが、行き着く先は「死」である。得られない幸福を死後の世界に求めるという状況しか救う方法はないと思う。
そう・・・・きっと、それが宗教の誕生を招くことになる。逆に言えば、宗教を誕生する為には、幸福という概念が壊れなければならない。従って、宗教が存在する限り、幸福は壊され続けるという真実がそこにあるのだ。
そして、幸福を支える満足の反対にあるものは、不満である。そして、それを救う方法として幕府があるのだ。不満が消えれば幕府も消える。従って、幕府も不満を応援しなければ自らの存亡が危うくなるのである。
存在の理由を辿っていくと、面白い結論が姿を現す。
人は、何を持って不満と思うのだろう。あなたは、生きていて何を不満に感じるのだろうか。そして、その不満とは誰から教えられたのだろうか。つまり、不満に感じることを指示している者は誰なのかということだ。
しかし、教え込まれた不満とは、本当の意味で不満として存在に足るものなのだろうか・・・・と、考えたことはありますか?それは、下手したら「昔から決まっているんだ」「皆がそう思っているんだ」などという不確定な要素に因るものではないのでしょうか。
不満を醸成するものは一体何なのでしょう・・・・それは、拘りではありませんか。何かに拘るという事は、自らを牢獄に閉じ込めるようなものだと思います。その拘りは一体誰があなたに教え込んだのでしょう。
拘りが多いだけ自らが不幸であると言えるでしょう。逆に言えば、拘りが減っただけ自らが幸福になったと言えるのではないかと・・・・
人に必要な本当の幸福とは、実は手の中にあるものであると思います。幸せの青い鳥のように、それを探す為に今や遥か宇宙まで行くようになった。だけど、そんなところにあるはずはない。後は、それに気付くまで色んなことをやり、多くの犠牲を出していくしかないのでしょうか・・・・・・