昨夜のオバマ大統領の就任式を見て、皆さんはどう感じたでしょうか。


私は、とても異様に見えました。一種のファシズムを見ているよう、あるいは新興宗教の集会を見ているような感じになりました。


その昔、私はああいう国に憧れたものです。何故なら、決して日本では起こりえないことだから。


どうして、日本人は政治に関心を持たないのか。もっと政治に関わるべきだと思っていました。でも、今は違います。


何故、アメリカはあそこまで、まるで新興宗教の集会のように熱狂的に政治に関わるのかということについて、これまでとは違った見解になったからであります。


物事は、真実を隠そうとする。つまり、もし、あの熱狂が消えたら・・・・アメリカは崩壊するのであります。アメリカは合衆国であります。寄せ集めの国である。何か熱狂させ国をまとめるしか国を保つ方法がないのです。


その一つが、資本主義経済による富であった。前にも書いたように、資本主義とは紙切れ経済、すなわち架空のつかみ所のない価値を原理としています。だから、全ては創造によって成り立つ。国を創造しなければならないアメリカ人には最も得意の分野であります。


そして、今一つは戦争であります。これは、9.11でも明らかになったようにスケープゴートの代表的なやり方です。


これは、誰もが経験したことのあることです。例えば、学校時代。クラスの内の不協和状態を一気に解決したことがあろうかと思います。また、家庭生活において、家庭不和を一気に解決したことがあると思います。


それらの内的不和を解決するのは外的であります。しかし、それは解決するのではなく優先順位が落ちるに過ぎない。単に内的不和を忘れさせるという手法です。


しかし、昔と違って、現在、戦争における戦利品はない。それは、企業に喩えると、売り上げもないのに設備投資を続けることを意味するわけです。アメリカという仮想の国家は、この両輪によって維持されて来ました。


それは、とても微妙なバランスの上に成り立っていた奇跡とも言えることでしょう。そして、その両輪が大きくなり世界を支配するまでに成長した。しかし、この両輪には最初から矛盾があったわけです。


企業原理と戦争原理は相反するものであるということ。企業がバブルを築いている間は、この問題は表面化しませんが、バブルがはじけることによって明確になります。


しかし、国家を動かす動力である以上、片方が縮小したからといって拡大した片方を縮小すると経済不和が表面化し結束は剥がれてしまう。9.11はそういうガンに対する延命処置であったと思われます。


そして今、アメリカは最後のステップへと向かい始めました。それは、星が消える前に輝くようなものだと思います。その輝きに、世界が期待を寄せるようであれば、世界も危ない。


そして、オバマ大統領は、その幕引きにクリーンニューディールを掲げました。起こってもいない地球温暖化という砂の土台に全てを託す。クリントン国務長官が言う「スマートパワー」とは、強いアメリカから、世界に媚びるアメリカへの転換であります。


ひょっとしたら、オバマ大統領はアメリカ合衆国として最後の大統領になるかもしれません。そして、彼自身がそれを察している。就任演説の彼の目から私はそう感じました。


目指すはソフトランディングであろうと思います。資本主義経済という幻想の経済によって、地上高く舞い上がった人たちを如何にして地上に降ろすのか。


大きな衝撃は大きな被害を招きます。恐らく、彼が言った「CHANGE」と「YES WE CAN」とは、それを成し遂げる為に、衝撃に備えよという意味であったのではないのでしょうか。


10年後にアメリカ合衆国はひょっとしたら無いかもしれない。民族や宗教、それとも生産基盤によって幾つかの別な国家に分断されるのではないかと思います。


しかし、それは自然の流れであり、本来一つの国家として成り立てないものを幻想によって無理してまとめていたということではないかと思います。


そして、その後にいよいよ日本が世界をリードしなくてはいけない時代がやって来ます。猿真似の国が世界をリードするなんてあり得ない話だと思いますが、それが時代の流れというものになろうかと思います。


時代が問うて来るものは、得意なことであります。猿真似が得意と見られがちですが、実は日本人に本当に得意なことが他にもあるのです。時代は、エジプト人、ローマ人やギリシャ人からスペイン人、そしてイギリス人からアメリカ人へと常に、その得意な分野を要求し、それぞれの人たちは見事に期待に応えています。


壊れ行くアメリカに引きずられて世界を沈ませるのか、それとも、時代が求めるニーズに応えて、世界を再起させるのか。日本人が背負う責任はとても大きいものであると思います。しかし、それらはいずれに時代にもあり、いずれの人たちも背負ってきている。


決して、日本人にそれが出来ないということではないと私は思います。ヒントは沢山あります。そして、キーワードは「あるがまま」であると私は思っています。