今の社会を見ると到底考えれらない話だが、私の母親は終戦後に相当農家からいじめられたらしい。


終戦後と言えば、食糧難の時代である。人はなんだかんだいって食べないと生きていけない。偉そうなことをいって支配している人も食べないと生きていけないのだ。


私の母親は今でいえば良いところのお嬢様であった。女中と言われる人が何人もいる家に何不自由なく育ったのであるが、終戦の食糧難の時代にあっては、そういうものは何の意味もない。


米や芋を手に入れるために、汽車に乗って農家へ出かける。当然お金に価値はなく、着物と交換である。高価な着物が少しばかりの米や芋に代わるのであるが、それ自体相当に辛かったであろうし、ついでにセクハラも受けたかもしれない。


そういう思いから母親は、食を粗末にするようになった。必要以上に沢山作るし余ったら平気で捨てるのだ。日本では、今現在かなり食が粗末にされているのは、ひょっといしたらそういう影響があるのかもしれない。


食料自給率が問題視されながらも、農家のステイタスは異常に低い。漁師も同様だ。食糧生産の重要性を知っていながら、それを認めると偉そうな人たちのステイタスは崩れるのである。


今ある現状とは、本来あるべき姿の裏返しであることが見て取れることが出来るだろう。つまり、弱い者が強い者を支配するために知恵を働かせるのである。


世界的な歴史には詳しくないが、日本の江戸時代において、各藩の評価基準は米の生産量であった。(石高制 )国の基準が何万石という米の生産量で測られたのは日本だけではないのだろうか。


そして全ては、その食を金貨に変える騙しから始まっている。金貨なんて決して食べられない。持っていても仕方のないものを価値あるものにする論理が、全てを支配するようになったのである。そして、その対極にある生産者たちがいじめられる世界が出来上がった。


しかし、食生産が疎んじられる社会であり、言い換えれば人が生きれない社会となるのである。今やそういう姿は微塵もない。当たり前のように金貨が威張っているのである。