ユダヤウイルスからくる知性が求めるのは契約書である。全ては契約によって成り立つと考える。だから、契約を破ると罰を与えなければならない。


しかし、日本人は違う。契約社会ではない。


では、どうやって契約を実行するのか。


誰もが知っている忠臣蔵にそのルーツがあるのではないだろうか。


口約束も契約である。それを見破る手段をユダヤウイルスは知らない。そして、彼等はそれを見破らないことから大きな損害を被り続けるのである。


少なくとも、大石蔵之助はそれを知っていた。どうすれば、自分の味方を見分けれるのか。


本当の自分を知りたければ、全てを捨てれば良い。地位や名誉を捨て裸の自分に付いて来てくれる人が本当の同志である。そこに裏切りは存在しないのである。


人は独りでは生きていけない。だから、仲間や家族を持とうとする。しかし、その中で様々な裏切りに会うのだ。そして、その裏切りを容認しているのがユダヤウイルスから発せられる契約である。


裏切りを恐れる人間は、素になれない。素になると孤独になるからである。このウイルスは、そこを最大の栄養素としている。その恐怖をエネルギーにして人から人へと感染していくのである。


人を脚色された社会に閉じ込めることによって、素を隠し、己の存在を隠すことに成功している。


人は孤独である・・・・・これは紛れもない真実である。だから、誰も同じであり自分だけが孤独であるわけではない。つまり、人が恐れを抱く要素ではないのである。


孤独を恐れなければ、実は孤独でないことが分かるのだ。何故なら、我々は常に誰かの子である。誰かの孫である。そして、それを延年辿っていくと一つに繫がるのである。


その当然のことを当然でなく感じさせる幻想こそ、このウイルスが最も好む環境であると言えるかも知れない。