先日テレビを見ていたら、世界の覇権国の変遷が紹介されていた。


覇権国として、初めて世界に登場するのがローマ帝国になるらしい。先日も書いたが、このローマ帝国を支えたのが奴隷制度である。次に出てくるのは大航海時代に力を持ったスペインであり、その次が大英帝国となるそうである。


産業革命はイギリスで始まり、重商主義から資本主義へと変わることを支えたように思う。産業革命があるからこそ資本主義が大きく世界を支配したということは分かるような気がする。そして、その後に来るのがアメリカとなるわけである。


この流れは不思議なことに西向きに移動している。ヨーロッパ中心の世界が、大西洋を超えアメリカに移った。その流れでいくと、次は太平洋を越えて来るのではないだろうかという何ともいえない感覚になるのである。


イタリアにしてもスペインにしてもイギリスにしても、昔、覇権国であったという面影はない。それは、まるで引退した総理大臣のようである。そして今、アメリカがその任を終えようとしている。


この後に覇権国が日本に来るのか、それとも素通りして中国まで行くのかは不明であるが、世界の大きな流れとしては間違いなくアジアへ向かっているのは確かである。


そして、これまでの覇権国がその地位を維持していたのは「財力」と「軍事力」である。いわゆる「金と力」という両輪によって覇権国は覇権国としての地位を確立してきたのだ。そういう点で言えば、どうも日本は素通りされると思われるが、民主化されていない中国に世界はついていかないだろう。


そういう中で、一つアメリカにはヒントがある。かつて、アメリカは軍事大国ではなかったということだ。つまり、戦争が頻繁にあっていたのはヨーロッパであり、飽くまで対岸の火事であったから相手にしていなかったらしい。それがドイツに脅され、やむなく世界戦に参戦し、日本から攻撃されて本気になったということらしい。


そのアメリカが、今、軍事費用に苦しんでいる。覇権国として、世界一の軍備を持つ責任に、そして、世界にその力を見せるためのコストに首を絞められているのである。


そういう点で言えば、我が国の軍事費要は格段に低い。アメリカから守って貰っているからだという言い方も出来るが、ある意味、賢い選択ではないだろうか。


日本人はかつて「エコノミックアニマル」と称されていた。そして、世界が今苦しんでありバブル崩壊を耐えたのである。悲しいかなアメリカは敗戦を知らない。世界で唯一戦場になっていない国である。かつて、未開拓の地を開発して国家を築き、フロンティアスピリットの国といわれたが、世代を超えるうちにその面影は薄らいでしまった。


アメリカ人というものは殆どいない。彼等はネイティブではない。つまりは作られた国アメリカである。虚飾の国アメリカである。その国が世界の覇権を握るということは、その時代は作られた時代、つまりは虚飾の時代と呼べるのではないだろうか。


彼等は、様々なテクニックを要して国という概念を支えてきた。そして、資本主義というのはまさにテクニックである。つまりは虚飾の宝庫であり、水を得た魚のように彼等を輝かせ見事に美しく泳がせたのではないだろうか。


その美しさに世界中が踊らされるのは仕方のないことである。そして今、そのメッキが剥げ落ちようとしている。飾り付けられたものが、その寿命を迎え、まるで春山のなだれのように解けいこうとしているのではないだろうか。飾りつけられたものがあまりに大きすぎて多すぎて、麓の村や町に大きな損害を与えながら・・・・


問題は、その次に来る世界の覇権国である。次なる世界観である。次なる社会システムである。既に引退したヨーロッパにその力はないし、虚飾の剥がれたアメリカは喪失感から立ち直るのに時間が掛かる。やはり、自然の流れからアジアに移るのは間違いない。


いずれは、中国やインドという大国が覇権国になるのは間違いないと思われるが、今はまだ時期尚早である。どうしても繋ぎの覇権国として日本がその地位に付かなければならないだろう。


これまでアメリカの陰でパシリをしていたお調子者の小金持ちに、果たしてその任が負えるのかという疑問を持つ人は多いと思う。しかし、ある意味経験は豊富である。江戸から明治という政権大転換と君主制から民主制への大転換を経験し、勝ち戦から負け戦まで知っており、最も大事な大貧民から大富豪まで上り詰め、そして全てを失う経験もしている。


そして何より、ネイティブなのである。更に宗教汚染がない唯一の国民である。恐らく、こんな国は世界にないだろう。それは何を意味するかと言えば、次なる新しい価値観を創造する力を持っているということである。


新しい世界観、新しい社会構造など世界が閉塞している現状を打ち破る要素を秘めているのは、残念ながら我が国だけである。つまりは、自ら進んでやりたくはないが、時代が日本を指名しているのである。


しかし、それは日本人が優れているという意味ではない。それは、町内会における班長の当番みたいなものである。人類の未来を築く為に、それぞれの民族や地域が順番に背負っていかなければならない役割であると私は思う。


だから、偉ぶってもいけないし怯んでもいけない。そして何より自らの存在意義を忘れてはいけない。何故、この時期に当番が回ってきたのかということを忘れてはいけない。引退したヨーロッパ、虚飾が消えたアメリカ、それらが支えた時代とそれらの意味をしっかりとわきまえて、次なる世界を築いていかなければならない。


きっと、その答えは日本人の心の奥にあるはずである。それを時代は求めている。しかし、多くの日本人はそれを忘れている。我々は、その奥底に隠れているものを突き止めなければならないのである。それを見出すことによって新しい世界が見えてくるのである。