消えいくものの意味とは、きっと、役割を終えたものであると私は思う。
私が生まれてから現在に至るまでに消えたものはたくさんある。しかし、人には愛着というものがあり、消えいくものを惜しむ気持ちがある。ある時は非常に厄介なものであるが、人としてあるべきものであると思う。
そして、今、私たちに衝撃を与えている消えていくものがある。それが「お金」である。お金とは人類創成以来あったものではない。人類が必要に応じて作り出したものである。人類が作り出したものは全ていつかは消えていく。
それは、必要があるから生まれ必要がなくなると消えるということだと思う。消え行くことを悲しむ人は多いだろうが、実はそれが進化なのである。成長なのである。
親として、子どもの成長を喜ばぬ親はいない。しかし、ある意味寂しいことでもある。
今、私たちは、まるで小学校から中学へと向かう小学校の卒業式にいるようなものである。それは、幼稚園から小学校の時とはまるで違う。中学から高校へ向かう時とも違う。もちろん、高校から大学へと向かう時とも大きく違うのである。
全く別の世界に飛び込むような大きな不安の中にいるようなものである。価値観が大きく変わる前夜というところだろうか。当然、何もないところで変わる事はない。大きく変わるということは、激震が走るということでもある。その激震に耐え切れるかどうかというのが不安の大きな要素である。
しかし、実際の地震による激震ではない。頭の中の激震であるから、リラックスして落ち着いて素直に対応すれば全く問題ないのではないだろうか。それは、小学校の卒業式と同じであると思う。緊張すると失敗するかもしれないが、心穏やかに落ち着いて行動すればスムーズに進むのである。
小学校を離れたくないと思う気持ちも分からないではないが、先人たちも全て通り過ぎた道である。我々だけがいつまでも小学生をやっているわけにはいかないのである。
消えていくものは何なのか、それはその役目が終わったものである。人が作り出すものには全て役目があり、当然に消えいく日があるのである。そのスパンが1ヶ月のモノもあれば数百年、数千年というものまで様々あるだろう。
そして、役目が終わったものは消え行き処分されるものもあれば、博物館に保存されるものもある。中には書物や教科書に残るものもあるだろう。そして、今を生きる我々は、消えていくものにこれまでの役目を感謝しながら、これから必要となるあらゆるものを作っていかなければならない。
消えていくものに決してしがみついてはいけない。何故なら、それは自らを消してしまうことになるからである。気になるのなら、書物や教科書や博物館で時々見れば良い。我々今を生きるものが、消えいくものにしがみつき消えてしまうと人類そのものが消えてしまうのである。
それでは、消え行くものを作った人たちの苦労は報われないのである。一見、消え行くものにしがみつく人ほど過去を先人たちを大事にしているように見えるのだが、それはむしろ逆なのである。過去や先人たちへの背信、つまりは裏切り行為である。
それは、自分が先人として生きれば分かるだろう。現代を生きるという事は常に未来からすれば過去を生きているのであり、未来へと希望を繋ぐ一先人なのである。