今、経済の破綻が国家財政の破綻を生み出そうとしている。それは、人々の人生の破綻すら連想させるものである。あの世界的大企業が破綻寸前という現実に人々は愕然としている。
しかし、あのローマ帝国だって滅亡している。あの江戸幕府だって崩壊している。これを称して「諸行無常」というのは日本人だが、必要のないものは消えていくというのが現実であろう。それらは、全て人が必要に応じて作ったものであり、永遠とさえ思えるものであっても、あくまで仮想現実にしか過ぎないことを意味するのではないだろうか。
とりわけ、この数世紀はお金というものが世界を支配してきている。お金というもの自体も人が作り出した仮想現実であり、それがいつかは破綻することは想定しなくてはいけない。歴史的な経緯を見れば、それが意味するものは、きっとお金が必要ではなくなった時代に入ったことになる。
人はお金お金と騒ぐが、その根本は何なのかと言えば「信用」である。100円が100円であるという信用から全てが始まっているのである。信用されるものはいくらでもお金が使える。それが国家というものになるだろう。
使いすぎて信用が喪失することによって国家財政が破綻すると脅されてはいるが、それは想像の限界を意味するのかもしれない。しかし、人の想像であれば本来は限界などないはずである。想像、創造は無限である。
言い換えると、人は無限を作り出すことが出来るのである。無限なるものとは本来、「神」の領域であり、決して人には与えられないと思い込んでいたものである。それは宗教がそう教えている。道徳やモラルがそう教えているのである。
その壁との戦いが今始まろうとしているのではないだろうか。宇宙は無限である。つまり、その宇宙に存在するものは無限を有しているはずである。しかし、それらは論理上の世界であり誰も見ることの出来ない領域でもある。
限界なきものは目に見えない。目に見えないものは怖いのである。この有限と無限の境界線に立つ今、人々は翻弄されているように思う。私たち人間も幼い頃は無限の可能性を持つ存在だと誰もが信じている。それは、可能性がない大人だって素直にそう思えるのである。
しかし、世の中を支配している大人たちは有限の世界に自らを閉じ込め、もがき苦しんでいるのである。この根本的な矛盾が世界を今震撼させている。つまりは、仮想現実にもがき苦しんでいる状態なのだ。
発想を変えよ・・・・というのは容易い。だけど失った発想を取り戻すのは難しいのである。何故なら、そこにはこれまで培ったプライドというものがあるからだ。我々人類に問われる最終課題は、このプライドであるような気がする。