大量失業時代が目の前に迫っている。何度も書くように、失業を怖がるのは奴隷の証である。主権者は失業時代を喜ばなくてはいけないのである。


仕事とはお勤めである。社会が円滑に動くように、主権者が背負う責任の一つである。それがなくなるとは、言い換えれば主権者の責任が一つ減ることではないだろうか。


大事なのは仕事に付くことなのか・・・・いや、それは違う。いつの時代も大事なことは生きることである。かつて人が構成する集団において、人が生きていくために仕事は欠かせないものであった。それはきっと労働奉仕という考え方ではなかったのだろうか。


一人一人がそういう社会における役割を担わなくては、人が生きていけない時代が長く続いたのである。それがいつの間にやら、「働かなくては生きていけない」という風に本末転倒したのではないだろうか。


今、人々はその本末転倒社会に苦しめられている。間違って植えつけれれた発想によって縛られ、自らを奴隷と化し、奴隷の身として拘束されることに慣れた結果である。


しかし、論理的に考えれば、「失業=仕事から解放される」という現実であり、つまり人が本当の意味での自由を手にする瞬間ではないだろうか。


問題は、働かなければお小遣いをあげない制度である。これも、働かなければ人が生きていけない時代の遺物である。


つまり、今本当に苦しんでいるのは過去の遺物なのだ。今現在が苦しいわけではない。むしろ、過去から現在を切り離すと現在は「パラダイス」なのである。この大量失業という現象は、私たちにそれを教えているのではないだろうか・・・・


大量失業というのは悪いことではない。むしろ、これまで私たち人類が夢のように憧れていた時代の到来ではないだろうか。人にとって唯一平等なのは、一日が24時間であるということだけなのである。何年生きられるかという事については決して平等ではない。


だから、最も大事なのは、この24時間という時間を自分のためにどれくらい使えるかであろう。きっと、その量と質によって幸福感が決まってくるのである。そして、間違いなくそれらの向上した環境が与えられている。それは間違いなく先人たちの努力の賜物である。


後は、国家を牛耳る主権者たちが、そのことに気付けば全ては変わるのである。ユートピアは作らなくとも今ここにあるのである。それを地獄に変える国民の目を変えることによって、ユートピアはその存在を目の前に現すのである。