いつの時代もきっとそう思えるのかもしれないが、この21世紀という我々が生きた時代は、人類史上大きなターニングポイントになるように私は思っています。科学技術というものが大方の進歩を遂げ、人類に不可能という言葉が消えていく時代。
囲の中の蛙大海を知らずという諺がありますが、今は、大海を知りながら分かっていないという時代であろうと思います。頭で理解するということと、体が理解するということは大きな隔たりがある。その隔たりとどう向き合い、どう調整していくかが問われる時代ではないでしょうか。
差し迫る経済危機という事に対して、怖さのあまり囲の中に隠れるようでは、更に追い込まれ窒息死してしまうことになるのではないかと思います。囲いの中で飼われる奴隷のような身分に甘んじることで安心を得ようとする行動が未来を閉ざしてしまう。
人類の歴史とは、常に囲いの中から外へ向かってチャレンジしていった歴史であると私は思っています。恐らく、それが出来る人は失うものがない人たち。それは歴史でもそうであったと思います。
人類が何故、このような繁栄を築いてきたかという説には、人類が優れていたというものがありますが、私はそれは間違っていると思います。人に何故、毛がないのか。それは、本来あるべきものがなかったという劣等の証ではないのでしょうか。
あるべきものがないから生きていけないではなく、あるべきものがないから知恵が生まれる。あるべき毛がなく寒いから火を扱うようになり着る物や住む場所を築くことを考えるようになる。そういう小さな知恵が今という繁栄を築いているように思えてなりません。
ところが、繁栄してしまうと劣ることは醜いことと蔑まれるようになりました。優れているものが世の中を支配し栄華を極め、劣るものを奴隷のようにこき使う。しかし、その栄華は誰が提供しているかといえば、世の中の多くの劣る人たちであります。
人類にとって一番大事な事は、優劣ではなく生きるということ。それは、創世の頃よりずっと受け継がれていた真理であろうと思うのです。そして、輝かしい科学の進歩によって、全ての人が思い思いに人生を生きれる環境を手に入れている。
だけども、体がそれを分かっていないのだと思います。それは恐らく、痛ましい過去の傷跡から来るトラウマであり、受け継がれている血液の中に脈々と息づいている。それが、まるで体を縛り付けるように身動き取れなくしているのではないでしょうか。
その金縛り状態から抜け出せるかどうかで未来が決まる。それは、政治家の問題ではなく官僚の問題ではなく、経営者の問題でもない。憲法にも定められている主権者たる国民一人一人の戦いであろうと思います。
様々な状況が、様々な恐怖を与え、人々のトラウマを刺激しています。それによって人々は囲いに入れられ奴隷と化す。自分では薄々感じながらも、自らに問いかけることもなく、自分の人生だというのに、他人のせいにして自らを正当化し、奴隷の身分を受け入れている。
その付けというのは、結局自らが払うはめになるのですが、その時は既に手遅れとなることでしょう。そして、性質が悪いのは、そのツケを払うことさえ正当化する。そのことによって誤った結論を後世に背負わせることになろうとも・・・・
本人はそれでも良いかもしれないが、それは人類を滅ぼすことになりかねません。我々の祖先がどれほど苦労して現在を作っているかと考えれば、それは人類を裏切る背信行為であろうと私は思います。
奴隷を解放するのは、奴隷自身でしかない。自らが為さねば他人が何かをしてくれるという事はないのではないでしょうか。私たち一人一人は間違いなく人類の子孫であり祖先でもある。奴隷制度がなくなって百年以上が過ぎてはいますが、未だ人類は奴隷の身分であることを感じていただきたいと思います。
その感覚を取り戻すことから全てが始まると思います。それは、先祖たちもきっと切望したことでありましょう。21世紀にそれがかなわなければ、恐らく、マトリックスの世界に向かうと思います。それは人類を奴隷とするコンピュータ支配の世界です。
人類が人類として未来に存在するかどうか・・・・21世紀がターニングポイントであろうと思います。