今、世界的に労働者が職を失い、「仕事をくれ」と要求し所によっては暴動になっているようだ。
「仕事をくれ」と叫ぶことに違和感を覚えるのはきっと私だけだろうと思う。その言葉を発するというのは、誰かと言えば、奴隷だけではないのだろうか。仕事がないことに苦しみ、または悲しむのは奴隷以外の何者でもないと思う。
また、それを見ている多くの国民も、「仕事がないとはかわいそうに」と思っているに違いない。この言葉も、結局、あるないの違いはあれども、お互いが奴隷であることを意味していると感じるのである。
少なくとも、我々は主権者である。仕事をすることを否定するつもりはないが、本来、仕事のあるなしを嘆く必要はないはずである。やりたい仕事があればやれば良いし、なければ何もしなくても良いのが主権者ではないだろうか。
少なくとも、君主は働かない。君主は主権者であるから働かないのである。君主なれば、働かざるとも何でも出来るのである。何故なら、多くの奴隷を従えているからである。
それが国民全員が主権者になると、何故だか、全員が奴隷となるのはどういうことだろう。私から見ると「どう考えてもおかしい」としか見えないのである。
それは、まるで全ての国民が奴隷になるように洗脳されているようにしか見えないのである。憲法には我々は主権者であると書いてある。だけど、実際は奴隷だ。いや、奴隷としての仕事もないから、奴隷以下の身分になっているのである。
主権者は本来、お願いされて仕事をするのが妥当である。もちろん、自ら進んで仕事をすることを妨げられることはないが。それが、まるで強制労働を強いられ、更には、その強制労働さえ与えられないことに文句を言っている。
どう考えてもおかしい・・・・どう考えても間違っている。
と、私だけが言うと、間違っているのは私であるという評価になるのである^^;