今年一年の漢字が発表された。「変」という字であった。昨年が「偽」であり、今年が「変」ということは、多くの人たちが偽りに気付き変だと感じている証拠であろうと思う。
様々な環境が、我々人間を小さな世界へと追い込んでいく。追い込まれながらも必死に出口を探していたのだが、その先は袋小路になっておりもはや出口は見当たらないのである。
これが、多くの国民が感じる現状ではないだろうか。このままではいけない。何とか変えなければならないとは思ってみても、仕組まれた迷路の中では所詮無理なのである。
袋小路とは何故存在するのかと言えば、それは二次元の世界だからである。三次元の世界においては、空に飛び出すことが出来、袋小路などというものは存在しない。
つまり、人を追い込むと言うことはどんどん視野を狭め、本来ある三次元の世界、いや四次元の世界を小さくしていくことである。しかし、道を歩いていると確かに、そこには袋小路は存在する。その確かな存在によって、人を無力化することが可能となるのである。
空に舞い上がれば袋小路というものはない。自由に何処へでも行けるし、何の制約もないことを誰もが知っているだろう。しかし、ある意味、それは想像の世界であり、現実に道を歩いていて目の前にある袋小路を現実と認識するしか術がないと錯覚させられるのである。
人々が薄々感じている「偽」とは、今目の前に見えている袋小路である。それは、我々人類にとって、本当に袋小路なのだろうか。目に見えているものが真実だとは限らない。恐らく、そう思うのは感性である。知性が優先される社会ではあるが、人は自己防衛のために感性を有している。
そして、疑いを持ち始めた現実に対して変化をイメージすることを始めている。今はまだ、偽装された二次元の世界に押し込められた状態でイメージしているに過ぎないが、やがて、本来あるべき三次元、四次元の世界へとイメージを広げていくに違いないだろう。
しかし、そこまで現実を打ち破る為には、まだまだたくさんの犠牲者が必要になるのではないだろうか。私は、このことが一番悲しい。この世に同じように生を受けながら、何故、人はその生を大事にしないのであろう。全てはそこから始まっていると思う。
人に不可能はないのである。不可能とは、人が枠にはめた可能というエリアがもたらす洗脳である。そして、その枠によって人は苦しめられ続けている。こんな生命体は自然の中には存在しない。それは、人類が存在していけないという暗示なのであろうか。
いや、それは違うと思う。本来は存在しない「偽」を生み出した権力者によって歪められているのであり、いずれ、そのことに気づく時が来るものと思われる。人は自然の中から生まれた産物であることは間違いない事実である。