この言葉を知っている人は多いはずである。また、そういう経験をした事がある人も多いのではないか。
では、目に付く鱗とは一体何なのか。
それは、真実をあなた方から隠す先人たちの知恵であると思う。
多くの人は、その鱗によって本来あるべき世界ではなく、偽装された世界を見せられる。
目に見えるものが真実と捕らえるのであるが、映画やドラマを見れば分かるように、目に見える映像は如何様にも細工が出来るのである。
何故、先人たちは真実を隠すのだろう。それは、浅知恵である。現実から未来を見れば、未来は現実に支配されることになる。しかし、実際は未来とは新しいものの出現によって想像すら出来ないレベルの世界になる。
分かり易くいえば、携帯電話の問題やネットの問題を論議しているのは、使い方も接続法方も知らない古代人であるということだ。
現実世界において起こる様々な問題に対処したのは、人類創世からの歴史であり、その失敗や成功によって浅知恵とも呼べる鱗を後世に貼り付けてきている。それは、悪意ではないと思う。先人たちは、私たちが後世の人にことを思うように、良かれと思ってやってきたことだと思う。
しかし、その悪意のなさが実は厄介な事態を招くのである。善意の鱗は中々落とせない。しかし、その鱗によって後世の人たちが苦しんでいることを知れば、恐らく先人たちは謝罪するであろう。
時代の進化を考慮に入れなかった自分たちを嘆くかもしれない。私が先人だったらそう思う。
鱗は過去と現実を生きることによって、まるで船底に貝殻が着くように知らず知らずの内に、我々の目を覆っていく。目に鱗が付いたかどうかは、自らの幸福感で計る事が出来ると思う。
あなたがもし生きていて幸福だと感じられないなら、それは目に分厚い鱗が付いているということである。人に不可能はない。ものごとを不可能にするのは、いつも過去からまとわり付いてきた目の鱗である。
どんな窮地も危機的状況も、目から鱗を落とすことで全てが解決する。言い換えれば、窮地や危機的状況は目に付いた鱗の仕業であり、目に付いた鱗を落としなさいと神が告げているのではないかと思う。