今自分が考えていることは一体誰の思惑なのか・・・・ということを考えた事がありますか?


多くの人たちは、例えば小学生だった頃夢見ていた自分と、大人になった自分が大きく違っていると思うはずです。それは、幼い故に知識がなかったからと納得しているのかもしれませんが、それは、実は納得しているのではなく、納得するように仕向けられているとは思いませんか。


自分が一体何者なのか、何をするために生まれてきたのか、いや、この人生は自らが望んだものなのかという疑問に駆られる人は少なくないことでしょう。その疑問を持つことさえ許さないという社会の現状でありますが、そういう疑問が浮かんでくるというのは、きっと誰かの思惑で動かされている証拠ではないかと考えます。


何度も書いているように、一つには学校教育という国家ぐるみの国民教育システムであり、その中で刷り込まれる道徳教育によって善悪や正誤を植えつけられるという思考の矯正があると考えています。そして、今一つは学校教育で教育される様々な教科を通じて、その能力による階層構造を意識付けさせるということ。


自然界には存在しない、善悪や正誤という概念を人に植え付けることによって、人は自らを抑制するという思考パターンを構築することになる。そして、その行動の差異によっても人を階層的な構造にまとめることが可能になります。


学校の教科教育においては、個人のやる気や能力によって差異を創設し、それを経済的な活動に結びつけることによって強固で絶対的な価値観と階層構造を構築することが可能になります。


この二つの論理的なシステムに人を追い込むことで、社会や国家を維持できるという完璧な人間管理社会を構築することを可能にしているわけです。そのシステムに組み込まれた人々は違和感を感じながらも抵抗できないという状況をもたらします。


つまり、抵抗できないシステムほど頑強で安全なものはない。統治者からすれば完璧かつ安心な社会や国家が自動的に永遠に続くシステムとなることでしょう。実に素晴らしいと思う次第です。


ただ、これは意図的ではないと思われます。誰かの思惑によって築かれたシステムというよりも、偶然の産物であると思うのです。だから、余計に誰も抵抗できないような気がします。しかし、そうなるととても厄介な事態になり、下手すると人類の滅亡を引き起こす原因になるかもしれません。


この状況を打破するには一つしかないのです。それは全ての人々が今に疑問を持つことから始まると思います。大人ぶって何でも知ったかぶりをするのではなく、小学生のような単純な疑問を素直に受け入れることから始まります。


それは、難しい事ではない。自分の心の中にある声に耳を貸すことであり、それが私やあなたのこの世に生まれてきた使命であると考えています。このシステムは、難しい問題を解くことを求めますが、それがこのシステムの根幹にある思惑であろうと考えます。


そうすることによって、人が人として単純に持つ疑問を逸らすことが可能になる。単純な疑問は、このシステムを根底から覆す力を持っているから、システムにとっては一番避けなければならない人の思考であると思います。


だから、今に違和感を持つ人が頑張らなければならない。その頑張るためのキーワードは「自然」であると思います。それは、私たち人間自体が自然から生まれた産物であり、放っておくと自然に考えることが人が人として生きるために欠かせないものであると思うからです。


我々は社会や国家を構成する奴隷やロボットではありません。自然界を生きる犬や猫と同じ生命を持つ人間であります。従って常に意識すべきは自然ということであり、今ある社会や国家の何が自然と辻褄が合わないのかを自らの声に従って見極めることではないでしょうか。


社会や国家を脅かす様々な問題、引いては人類の未来を脅かす事態は、そのことを問いかけていると私には思えます。どうか、自らに素直に問いかけてみてください。未来を築く鍵は全ての人の心にあると思います。