今の世の中、なんだかおかしい・・・・
難しい問題を必死に解こうとするが単純な疑問ほど考えようとしない。
例えば、今の経済危機。限られた予算の中で何かをやろうとすれば無理があるのは当たり前である。予算は収入がないと出せないという根底に誰も疑問を持たないからそうなるのでしょう。
今失われているのは目的ではないかと私は思うのです。例えば、あなたは何のために生きていますか?あなたは誰ですか?と問われて胸を張って答えるのは、何かを買うためとか、どれくらいのステイタスにあります、などいずれも手段と思えることが堂々と目的化している。
それは国家予算さえも同じ事が言える。国家予算はなんのためにあるのか、という単純な疑問は誰も持たない。問われるのは、どうやって捻出しどう配分するかだけなのである。
子どもたちが「何故勉強しなければならないのか」という疑問を持つことも少なくなってきている。仮に持ったとしても多くの大人たちは、子どもが勉強するのは当たり前であるという答えしか持っておらず、聞くことすら許さないのかもしれない。
これらは、常識とも呼ばれ暗黙の了解とも呼ばれるだろう。
ある僧侶が「この豊な時代に、どうして貧困や戦争が起こるのか分からない」と言っていた。これも単純な疑問であると私も思う。作る技術は格段に進化し、様々な不可能を可能に変えてきているのだが、その恩恵を享受するには至っていない。
それは、単純な疑問を持たなくなって来た事に由来するのではないだろうか。単純な疑問とは、人が人として生きている証であると私は思う。逆に言えば、人が人として生きづらい社会になってきているのかもしれない。
奴隷のように人生を棒に振って働き、人格を傷つけられながらも必死で社会にしがみつく。その連鎖が、人を壊していくのだろう。昔から言い伝えられたきたことに縛られ、とても窮屈な人生しか与えられない。常に何かに怯えながら、不安と疑心によってまるで壊れそうな橋を渡っているかのように見える昨今。
単純な疑問を解き明かすことを等閑にした結果ではないかと思います。この世の全ては単純な疑問から始まっている。それは初心と呼ばれるものであるし、人が初心から始まるのと同じ事ではないかと思います。人々がそのことを考え出す時、世界は大きく変わると思うのですが・・・・