教育とは一体なんなのだろうか・・・・・
強制を伴う教育とは一つの洗脳行為であり、国家ぐるみで行なう教育とは一つの詐欺であると言える。
様々な教科やカリキュラムという複雑な構造を通して、国民を欺く為の洗脳教育が、独裁主義国家でもない日本で未だに日々正々堂々と行なわれている。
その根幹に位置するのは、人々を立派な大人にするだとか、幸福導く為という大義名分があり、そういうこと反論する人は誰もいないことから成立するのである。
しかし、立派とは何なのか・・・・個人の幸福とは何なのか・・・という基本的な命題に対して、何ら回答を持っているわけではない。キチンと働いて納税することを立派と称しているのなら、それは主権者を育んでいるのではなく、国家を支える奴隷を育んでいるに過ぎないと言えるだろう。
幸福のためというのなら、本当は、個々人の幸福をどう見つけるのかということに重きを置くべきであり、それは人生において最も重要かつ困難な命題であり、他人が軽々に口走ることは容易ではないと思う。
それは、まさしく詐欺師の発想であり、知らない人間にとって最も騙されやすいテーマの一つになるのではないかと思う。勉強すれば幸福になれる。努力してお金持ちになれば幸福になれるという幻想を抱かせることによって、国民を奴隷的に支配できるのは、今の社会を見ると一目瞭然であろう。
かくして、殆どの国民は国家的な詐欺行為にうまく乗せられ、自分をどんどん見失っていくのである。自分を見失う先に幸福という名の駅はなく、人生に疲れるだけなのである。こうしたことに違和感を覚える人たちが今どんどん増えている。
学校に行かない人たち、外に出ない人たち、働かない人たち、心を病む人たち、自ら命を絶つ人たち、そして、まるでロボットのように働き続ける人たちである。物事は結果を見れば、何を目指して事に当たったのかということが自ずとはっきりする。
行動や理論は嘘をつけるが、結果は正直なのである。しかし、その結果を見ても目を覚まさないほど騙され続ける人が多いのである。それだけ純粋なのであると思う。そして、この結果に対して教育者たちは訳の分からない言い訳に奔走している。
詐欺に引っかかった人たちが詐欺を受け入れるのは、自らの人生を否定することに等しい。きっと、彼等はそこまで分かった上で行なっているのかもしれない。もしそうだとしたら、見事な詐欺行為と賞賛するしかないだろう。我々に打つ手がないことを認めるしかないことになる。
でも、人生とは常に否定されるものではない。むしろ、間違いに気づくことが人生を有意義にするものであると私は思う。これまでに行なった全ての事がムダであったとしても、常に大事なのは、今日からであり未来であると思うのである。
そのことに人が気付けば、世の中は大きく変わると思う。そこに必要なのは、ちょっとした勇気であると・・・・・・