G20が開かれたりするなど各国政府首脳は、ここぞとばかりに存在意義を顕示しているように見えるのは私だけだろうか・・・・


現在において、国民と国家の関係は、主従関係でしかない。国家に仕える国民という構図が中々拭いきれないのは、一重に教育と経済のお陰だろうとつくづく思うのである。


前にも書いたように、今回の金融危機において一番被害を被っているのは各国の国民である。職を奪われ、生命の危機に瀕している人もいることだろう。そういう危機は、権力者にとってとても美味しい果実となる。自らの存在価値をアピールする場となるからである。


普通の人は、何がしかの労働をしてその対価として収入を得て生活している。しかし、権力者は何の労働もしない。国民に危機を意識させ恐怖を植え付けることで、税金収入から所得を得ることになっているからである。


やったことが成功しようが失敗しようが関係ない。国民に恐怖を植え付けることで国家に従属させることが彼等の使命である。その恐怖が民主主義を阻む力である事は言うまでもない。


国家がなくともお金さえあれば国民は生きていける。現にそういう人はいくらでもいる。しかし、権力者は国家という寄生組織がなければ生きていけないのである。私たち国民は、そのことに気付かなければいけない。


国家に寄生することなく生きれるから、国家を動かす主権者になり得るのである。国家に寄生する存在であれば、主権者ではなく従属者=奴隷と同じ身分に落とされるのである。


つまり、国民は自分たちの都合の良いように国家を利用する事が出来るのが本来の民主主義ではないかと思う。だから、主権者たる国民は何をやっても許されるのであり、何でも出来るのである。自分たちが気に入らない国家はどんどん切り捨て、国替えをしても良いし再構築しても良い。


だけど、もしそうなると権力者たちは大変なことになる。次の国家で採用されるのか、見捨てられた国家では生きていけないのである。結局、トラの威を借る小心者に過ぎないのである。それを学歴という鎧で身を包み、一見立派に見せているに過ぎない。


彼等は学歴がないと生きていけないほど可哀想な存在である。しかし、主権者たる国民は違う。中卒でも破産者でも大手を振って生きていけるのである。実際にはそうはいかないが、それは国家によって教育の名の下に洗脳されているからに他ならないのである。


格付け洗脳によって、国民は国家の最下層に押し込められている。そして、最下層の中でお互いが凌ぎを削らされ、主権者であるどころか奴隷以下の待遇に追いやられるのである。民主主義という名の下に、君主国家の教育を施され、学閥という物差しで計ることによって国民を分断し、権力の座から遠くに追いやる。


そういう方法に対して対抗する術はない。ただ、一つだけ突破口がある。それは、単純な「何故」という疑問から始まるのではないだろうか・・・・


何故、自分は幸福になれないのか。何故、自分はここまでして働かなければならないのだろうか。何故、自分はこの世に生まれてきたのだろうか・・・・等など。


様々な単純な疑問が権力者の罠を解きはがす原動力になると私は思う。今、そういう単純な疑問に苦しむ人が増えている。それを人間の闇だとか社会の闇だとか揶揄する人もいるが、そこに蓋をすることによって利を得ている人であり、そういう言葉に騙されてはいけないと思うのである。


全ての進化が今、国民主権という絵に書いた餅を、絵から現実のものへと引き出そうとしていると私は感じている。この21世紀という時代が、その正念場であり人々の頑張りどころであり、輝かしい未来への試金石であると思う。


夢や希望とは、国家にあるものではない。国民一人一人の心の中にある。それに何処まで付き合えるかで人類の未来が決まると私は思うのである。