景気対策なのか低所得者救済なのか分からない給付金であるが、今やそういうのはどうでも良くなった感がある。マスコミ報道を見れば分かるように、政策の意図などそっちのけで、支給方法に話題が変わった。
これは、思わず笑ってしまうほど見事なすり替えである。国が基準を定め、実行は地方に委ねる。こういう状況はかつてあったのだろうか。実行する地方は、人的配置や個人の能力によって、当然差が出る。その差によって出る批判を恐れて地方は大慌てしているのだ。
これまでは、常に横並びであり、日本全国津々浦々どこでも一緒ということであった。しかし、地域経済や教育、文化などはまさに地域によって差があったのではないだろうか。
政府は自らの責任逃れのために考えた策であろうが、これは意外に新しい政治を示しているように思うのである。それは、国家が全国民に同一の責任を追えないことを自ら表明した歴史的瞬間と言っても良いだろう。
しかし、この発想は実に大事である。個性の時代と言われて久しいが、やっと政府もそういう方向に動き出すのかもしれない。危機的状況を回避する為には一丸となってという思考が相変わらず根強いのだが、それはむしろ逆である。
危機的状況というのは、実は危機でもなんでもない。物事に変化を促すチャンスなのである。それを活かすためには様々な思考と行動が欠かせない。何故なら、何が成功し何が失敗するかは人には分からないからである。
この国を立て直すのは地方の仕事である。地方がその特色に基づいて様々な行動を起こすことによって、どこかで解決の糸口が見えてくるのである。これを人間社会ではリスクの分散と呼ぶが、自然界では、その誕生から現在に至るまで延々と行なわれた摂理である。
そして、それは民主主義を確立する原理ともなる。「みんな違ってみんないい」という金子みすずの言葉があるが、全ての人が幸福を目指す為には欠かせない基本原則となる。後は、そのことに国民が気付くかどうかで未来は決まるのかもしれない。