日本の教育は、主に高校で終わる。大学も教育機関だが、どちらかと言えば研究機関に近いように思われます。
まあ、いずれにしても20歳を過ぎると大人と呼ばれ、全ては自分で決めなければならない。しかし、当然何の経験もなく、何かと決めるという行為を適正に行なう状況にはないと思う。それは、暗闇を手探りでビクビク歩くのと同じであろう。
自分が行なう選択が正しかったのか、間違っていたのかを知るのは結構後になってからになる。しかし、大人というものは間違いを認めない。仮に間違っていると思っても、「しょうがない」という一言によって、追認、容認してしまうのである。
結局、間違っていたからと言ってどうすれば良いのかというのが見つからない、いや、見つけられないというのが本音だろう。本当は見つけている場合でも、後戻りは出来ないということもあるかもしれない。そうやって、人は大人になり多くの不満を抱くことになるのではないだろうか・・・・
私は、大人にこそ学校が必要であると思います。自分の専門外の事を学んだり、自分の人生を自分の好む方向にコントロールするためには、一人の力では限界がある。それを的確にサポートしてくれる友人や親戚や親がいれば良いが、仮に居たとしても、その力量で個人の能力の限界が決まると思われます。
今、自分が置かれている場をキチンと分析し、自分にはどういう能力があって、どういう趣向があり、どういう人たちと連携し何をどうして行けば、より良い人生を選ぶことが出切るかということを学ぶ場所が必要だと思うのです。
多くの人が様々な問題を抱えながら、限られた情報と経験で生きています。人は無限の可能性を秘めていますが、そうした教育機会の無さから多くの人は、それを実感できないのではないでしょうか。
家族や音楽は何の解決策も導きません。もちろん、様々なヒントは与えてくれますが。仕事や職場の人間関係、金銭問題、教育問題など生きるために解決しなければいけない問題は山のようにあります。時として、そういう問題に押しつぶされるようになることもあるでしょうし、そういう問題によって人生の意味や目的を見失うこともある。
そういう大人たちをどう支えていくのかが、社会を健全に保つ為に考えなければいけないことではないかと思われます。子どもの教育以上に実は重要なことであり、その環境は国家が整えなければならないと私は思います。
そういう教育システムは莫大なコストを要するでしょうが、それに見合う経済効果は莫大であろうと思います。犯罪の抑止、健康促進による医療費削減、個人のパフォーマンス向上による生産力アップなど、計り知れない大きな効果があります。
一番大事なのは、人を大事にすること。それは言い換えると人に一番お金を掛けることを意味しています。人の成長が国家の成長になるのだから当たり前の事なのですが・・・・