月曜日の日本株式市場は大荒れの展開となりそうである。底値が見えない不安感がパニックを引き起こすのであろう。過去と違うのは、地球環境の悪化が取りざたされ経済問題のみに専念できないという状況もあるように思える。
世界金融危機、世界経済の破綻など今私たちは深刻な問題に直面している。世界各国の首脳たちが頻繁に会合し、この問題に対する対応策を協議しているようであるが、確かな解決策を得ることが出来ない現状が事態を更に深刻化させ、世界中の人たちに不安を与えている。
金融機関への公的資金投入で解決するほど容易な問題ではないことを多くの人が知っているのではないだろうか。問題が山積されすぎており、個々に検討しているようでは悪化の進行を止める事は出来ないのではないだろうか。まさに手の打ち様がないというお手上げ状態であるのではないだろうか。
本当はそういいたいところだろうが、本当を言ってしまえば更なる混乱がパニックを生み収集できないと危機感を募らせ、別に世界の首脳が集まる必要もないのに、集まって協議している姿を示し、事前に打合せていた打開策を発表するという形式的な事をやっているに過ぎないと思う。
後は、時間が解決するという役所論理であると見える。問題に対して取り組む姿勢さえ見せていれば許されるという国家の国民に対する甘えであると私は見る。
そういう中で、世界中の人々は次々と職を失い、家を失い路頭に迷うのである。そして、一番の問題は、それは経済の問題であり、台風や地震といった自然災害と同じく人知の及ぶところではないと思う共通認識があると私は思うのである。
政治の根幹には国を形作る憲法がある。そして、少なくとも日本国憲法には経済環境に従い国を運営するとは一切書いていないのである。国家が従うべきは国民の意思であるとは書いてあるが、経済的な要因については触れていない。
それは、触れる必要がないからではないだろうか。
先日、アメリカのカード社会の問題がテレビであっていた。相次ぐカード破産で収入の枠内で生活するという方法を身につけようとする意識が高まって来ているそうである。しかし、人々が収入より少ない生活を始めると経済は衰退する。
世界経済を担ってきたアメリカが失速したのはそのためである。経済成長という言葉があるように経済とは成長し続けなければ成り立たないのである。速度が速すぎるとバブルになるが失速すると恐慌になる。この100年近くの間に、このくり返しに世界中は一喜一憂してきたのである。
その恐怖から経済学が発達したのであるが、経済学は過去を検証するのが仕事であり、この膨張と収束の原理はさほど研究しても未来への希望を繋ぐ結果は得られないし明確な解決方法も得られないのである。
公的資金の投入という政治的決断で解決しようとしていること自体、経済問題は政治で解決できるという発想を示している。しかし、それは政治が経済論理で動かされている証拠であると言えよう。何度も繰り返して起こる問題を何ら解決できないということは、次元が違うと考えるべきではないだろうか。
そのことを気付かせるのは国民である。私たち国民が経済論理で政治を論じる限り、国もそういう発想で経済に挑み失敗を繰り返す。当然、そのつけは我々国民が背負い人生を振り回されるのである。グリーンスパンは100年に一度の危機といったが、これは未曾有の危機であり最終通告かもしれない。
この危機において、発想を変えられなければ人類の未来はかなり厳しいものになると思われます。