さて、ようやく終わった世界的な戦争が、我が国の国民にもたらしたのはなんなのでしょうか。
敗戦後まもなく行なわれたのは、日本国憲法 の草案である。草案に関る作業や状況を知る人は少ない。書かれているところを見ると、GHQの指導で行なわれていたが、かなり日本政府も抵抗していたようである。
私は終戦によって君主制から民主制へと変わったと思っていたのだが、意外にも象徴天皇とした立憲君主制 を維持していたようである。天皇の存在なしにこの国が存在し続けられないという思いがあったからなのだろうか。
皇族を有するという点において立憲君主制というならばそうなるのだろうが、この中途半端なスタートがこの国を中途半端な現在にした大きな要因であると思う。今の日本の国体をどう国民は見ているのかといえば、立憲君主制だと思っている人はいないだろう。
しかし、形式的に言えば立憲君主制であり、民主主義の国々から見ると間違いなくそう見えるのかもしれない。こうした状況は間違いなく、江戸時代から続く武士の政という流れがある。つまり、国民が政に参加するのではなく、ある特定の人たちが政を行うという考え方である。
この伝統的な統治方法を採用するのが妥当であると判断するのは当然のことだと思う。しかし、戦後民主主義に向けて学校教育での憲法教育や民主主義教育も始まっていた。憲法に謳う国民主権を果たす為に必要な手法であったと私は思う。
しかし、1950年の朝鮮戦争で事態は一変する。日本から軍隊を排除させ交戦権を奪ったGHQいやマッカーサーは、警察予備隊を組織することを司令している。戦争が終結し平和な世界に向けて動き出した途端の急展開である。
そこで政府は、大幅な教育後退を余儀なくされたのである。民主主義や憲法を教育することを止め、学校教育で修身を応用した道徳教育を復活させた。新たな戦争リスクに対する対応である。警察予備隊を自衛隊に進化させ戦闘体制を取らされていったのである。
しかし、実際には日本が交戦すべき戦争とはならず未然に防げたのだが、体勢を戻すことはしなかった。それはきっとリスクが消えたのではなく、最悪の事態を免れたに過ぎなかったからであろう。
そういう危機感に苛まれつつ1960年に日米安全保障条約なるものが締結され、その後の日米関係の基盤となっているのである。こうした流れに対抗したのが民主主義・憲法教育によって培われた学生運動であると思われます。
立憲君主制抵抗した民主主義の申し子たちとでもいいましょうか、今でいえば、国民の信託を受けずに勝手に総理大臣を変える自民党の傲慢さと国民の不信という対立という事になろうかと思いますが、熱き若者たちの権力への戦いであったように思います。
私は、何故、民主主義の国であのような闘争をしなくてはいけないのかと疑問でありましたが、きっと彼等にとっては君主制の中に置かれた民主主義首謀者の主張であったのではないかと思います。
政治体制の混沌とは裏腹に、戦争特需によって日本は思わぬ景気回復を遂げることになるわけで、その後の経済発展の礎を作ることになろうかと思われます。立憲君主制の中で基本的人権や主権を持つ国民に何が出来るかということが学生運動を通して明白になります。
つまり、政治的な方法で問題解決を図るのではなく、経済的な方法によって全ては解決しろということです。簡単に言えば、働くことで自己の欲望を成し遂げよということになろうかと思います。そうした一人一人の国民と政治体制とが結びつき55年体制という強力な政権が誕生する。
政治は逆らうものではなく利用するものであるという発想で、この国は突き進んでいくことになろうかと思います。こうした状況がかもし出すのは国家の一体感ではないでしょうか。それは、まるで「欲しがりません勝つまでは」といって頑張っていた戦争中と同じ状況ではないかと思われます。
政治と経済と国民が一体となって働き、奇跡的な経済復興を遂げていったと私は思います。