さて、基本的な歴史背景を考慮した上で、日本人にはどういう特性が染み付いたのかというものを考えてみたいと思います。それは現在でも脈々と息づいているものでなければならないでしょう。つまり、今の日本人を見ればどういう特性が染み付いたのかが分かるということです。
日本人である私から見て日本人はどういう人たちなのか。まず、政治感、国家感というものを見ていきます。太古の昔より、日本における政はある特定の身分の方が行なってきました。そのことは誰もが知っていることだと思いますが、何故、そういう状況になったかということを推察すると、今も言われる誰がやっても変わりないという状況にあったのではないでしょうか。
平家であろうと源氏であろうと豊臣であろうと徳川であろうと、私たち一般の日本国民には大きな変化はないということです。そこには安定した身分制度なるものがあったかといえば、それは徳川が確立したに過ぎず、何故、それが必要だったかといえば、戦争のない社会で武士の存在を維持する為であったに過ぎないと思われます。
戦乱の世が終わるということは、戦争をする武士の時代が終わることを意味します。食料や商品の生産能力のない武士が不必要になる世の中を武士が作ってしまったということを家康は気付いていたと思われます。従って、武士の身分を守る為に、士農工商という身分制度をこしらえ、武士に従うような体勢を強化した。
特徴的なのは商人が一番最下級というところではないかと思われます。その後の武士の生活を見れば分かりますが、商人が台頭する実態を家康は予見していたと思われます。終戦前と戦後の日本の大きな変化を見れば、世の中をお金が支配していく状況を現代人も知ることが出来るでしょう。
少し話がそれましたが、日本国民にとって政は瓦版のネタであり、井戸端会議のネタでしかなかったということです。貧しい生活とは裏腹に、その生活を楽しむ術を持っていた。いや、いくら状況が悪いといえども、生きていくことに致命的な危機はなかったと察せられます。
士農工商という身分制度は、自ずと建前となる。生産もしない労働もしない武士が、年貢だけで生きていけるほど世の中甘くありません。一般庶民は、土下座という見せ掛けだけの礼を尽くしながらも、むしろバカにしていたのではないかと思われます。
そういう建前に満足する武士という存在が、庶民に本音と建前を育ませたものであると思います。
やがて、そういう徳川時代も終わり明治政府に移行するわけですが、ここで武士は致命的な打撃を受ける。召抱えられていた藩がなくなるということは、全員が失業するという事態に見舞われるわけです。恐らく、明治政府が一番頭を抱えたのは、この問題ではないだろうかと私は思います。
今、国家公務員と地方公務員が全員職をなくしたら・・・・どうなるでしょう。彼等の多くは江戸時代の武士と同じで社会に適応できない特殊な人たちです。もの作りももの売りも出来ない。放っておくと見殺しすることになる。それだけなら良いが、場合によっては治安を悪くする可能性もある。
この人たちの再就職先を斡旋するのは大変だったと思います。結局、政府機関で養うしかないというのが結論ではないかと思われます。今までの政府機関と併せて、学校という新たな組織を立ち上げ、教育現場に使うしか方法はないものと考えられます。
日本人にとって、本来、国家や政府なるものは必要ではない為に、誰も国のいうことを聞かない国が出来上がったのではないでしょうか。第一、ろくでなしの武士に教わることなんかないと思うのが当然だと思います。福沢諭吉が「学問のススメ」を書かなければならないほど、学問は不必要な存在だった。
権威をなくした武士に力を持たせようとして、天皇制を考え出した。武士によって権威を奪われた天皇を再び担ぎ出し、打開策を見出そうとしたのではないでしょうか。
そういう中で、時とともに政府機関は増大し、学校も行政機関への就職斡旋力が高まると、学問に対しての認識が変わってきたと思われます。一般庶民から一部の高級官僚が誕生し、目を見張る生活改善が起こるようになった。
勉強すれば飯が食える時代が少しづつ浸透していたのではないかと思われます。そうした背景を利用し、政府は寺子屋を廃止し、全国民を一元的な教育による意思統一を図っていった。そこには、天皇制を軸にして教育勅語というツールを使い、武士の威厳を復刻し戦争時代に戻す為に意図的に行なわれたと思われます。
全日本国民が武士になることを要求され、戦に出ることを求められた。そして、そういう人を称え、家族は支えなければならないという戦乱の世にあった戦国武将の家族を想定した国家作りを行なったのであります。
恐らく、日本国民が一番危機的状況に追い込まれた時代であると私は思います。何がなんだか分からないうちに戦争の真っ只中に放り出され、命の危険にさらされ、食べ物も満足にない。戦争に勝ったからと言って何ら国民に実益のない戦争に対して、武士道を押し付け意味あるものとしていきました。
本来、日本人が持っていたものを急激に壊していった快挙だと思われます。しかし、本当にそうなのかといえば、培われた本音と建前から、国民の隠れた不満は非常に大きいものであったと思われます。しかし、これまでにそういう経験がなく、そういう問題に対して対抗する手段を持たない国民は、ただ受け入れ耐えるしかない。
やがて、多くの犠牲と悲惨は結果を残し戦争が終わりました。前回とかなり重複したところがありますが、ご容赦下さい。次回は戦後から見ていきます。