日本の政治がおかしくなったのは、ムダを省く政治を始めてからではないかと思います。そのきっかけを作ったのはバブル崩壊という経済苦境であります。バブル崩壊に対して未来のビジョンを見据えた対応が出来ずに、悪化する状況を何とか形だけでも食い止めようと政自体にメスを入れて来ました。


無駄な公共事業削減、無駄な人件費削減、とにかく何とかの一つ覚えのように予算削減を政と勘違いして行ない続けた。それは、まるで企業のリストラと同じ発想であり、それがもたらすのは人減らしであります。つまり、ムダを省く行為とは人を省く行為と同義であり、仮に営利を目的とする企業は仕方ないにしても、人を育む国家が行なってはいけないと私は思うのです。


未だに、錦の御旗の如く無駄の削減を追及しているのですが、これまでどれ位のムダを削減したのか、それが一体社会全体にどういうメリットをもたらせたのかという検証は全く行なわれていません。


かつて、自民党は土建業と一体となって、公共事業のバラマキ政策で政権を維持して、日本に大きな経済的効果を上げました。無駄な公共事業がたくさんあり、企業ベースの費用対効果では話にならないものがたくさんあります。


しかし、それらで使われたお金は確実に様々な市場へと流れていったはずです。夜の接待、ゴルフ遊びに車の購入、豪華な社員旅行、日々の生活の贅沢など、使ったお金は誰かの懐を通して次の誰かに渡っていく。そういうお金の流れがあったからこそ飛躍的な経済発展を遂げることが出来たのではないでしょうか。


もちろん、無意味な税金の使われた方を推奨するつもりではありませんが、何でもかんでも無駄扱いして絞ることがよい事ではないと私は思います。学者などが赤字国債を例にとって、この国が破産すると脅すから、素直な政治家や官僚がツイヅイしていったのでしょうが、企業会計の論理と国家財政の論理は、その存在意義からして全く別物でなければいけないはずです。


今、サブプライムローンの破綻をきっかけに各国が力を合わせて公的資金の導入に向かおうとしています。その先に国の経済が破綻するという恐怖心が付きまとい、足並みがそろわない現状があろうかと見受けられ、その姿勢が更なる危機を招こうとしているようにも見えます。


人はお金がないと生きていけない時代になりました。それは、自給自足の時代には考えられない状況であり、その分、人は自由に生きれるようにもなりました。全てのもが効率的に作られ、運ばれ、販売されるお陰であると思います。


その恩恵を得ている現在において、世界が苦境に立つというのは本来ありえない話ではないかと私は思います。そこには経済の効率性のみが優先され、ムダを省くという考え方が浸透し、政治の世界さえも支配しているのが要因ではないかと思えるのです。


政治と経済とは全く別物であり、同一視することが間違っている。恐らく、今回起こっている危機的状況は、それを教えているのではないでしょうか。起こる状況には必ずメッセージがあると思います。そのメッセージを五感を研ぎ澄ませて聞くことが重要であると思います。


何が起こっても恐れることが一番いけない。恐怖に支配されると冷静な判断が出来ないのです。こうなったのは、これまでの対応が間違っていたということであり、もう対症療法では通じないということだと思います。常に考えるのは基本です。


難しい経済論理や政治手法ではない。国が何のために存在するのか、政府が何のために存在するのか、そして、家族がいや人が何のために生きるのか。いつの時代も人が問われるのはこのことであろうと私は思います。