アメバタの議論で改めて考えさせられたのですが、政治家に求められるものは何なのか。
政治家が例えば国会で激しい議論をすることを国民は素直に受け入れているようですが、私はそれではいけないと思います。それは、プロ野球選手が試合を行なうグランドで練習をしているようなものであって、それでは観客は納得しないはずです。
自分が勝負をする場とは結果を出す場所であって、仕事をしている人ならば誰でも分かることだと思います。政権与党は、国会の場で自らのビジョンと政策を示し淡々と実行する。それに対して野党は、その成果を監視し責任を明確にさせ、与党に対して政策に対する責任を問うのが筋だと思います。
政党が与党になるために、国民にビジョンと政策を明らかにし、常日頃から国民と細かい議論を通して、政策の変更や修正を行なっていれば、国会で議論をする必要はない。議論をして時間を引き延ばしていては、政策の実効性や効果が薄れてしまう。
大いなる権力には大いなる責任があるという言葉があります。恐らく、今の政治家はその責任にを取れる度胸がない。覚悟がないのではないでしょうか。まるで政治の場を演芸場の如くのパフォーマンスで人気取り合戦をしている。
要は、自らが演芸場に立ち続けることを目的としている芸人に過ぎないと私は思います。だから、芸にしがみつくのと同様に、どんなことをしても政治にしがみついている。演芸の世界であれば、人としてそういう生き方も認められ賞賛されるべきものがありますが、国民に対して実効性のある行為を行なう政治家には、あってはならない考え方であると私は思います。
国会では長く議員をすることで数々の特典や表彰制度があるようですが、時代はそんなに悠長なことを言っている場合ではない。今や10年前の考え方が通用しないほど新化のスピードは増している状況にあります。
政治家がずっと政治家たらんと欲しているのは、国民の為という嘘をつきながら実は自らの思いに縛られているに過ぎないのではないでしょうか。プロ野球選手でも自らの引退時というのを察知するものです。自分の考えが時代に即しているのか否かを見極められないようでは、国を動かすことも、国民を幸福に導くことも出来ないと私は思います。
そういう政治家を見て、国民が政治に関心を持たなくなった。だからこそ、延々と政治の世界に居座れるのであると思われます。プロ野球選手なら、観客からやじられ、球団から解雇されるなどの処遇がありますが、過去の実績でも飯が食えるという温かい世界でもある。
そういう環境を作っているのは国民であると思うのですが、それを批判するつもりはありません。ただ、時代に適応しない政治家を排除できるのは国民だけであり、そのためには、時代の流れを察知できる新しい政治家を育まなければならない。そして、それが出来るのも時代の中で生きている国民だけであると思います。