何かと批判の多い資本主義でありますが、マックス・ウエバーが書いているように、ここまで隆盛を極めるまでの初期段階にあった精神的な原動力はキリスト教であろうと思います。重商主義で苦しめられた人々によるレジスタンスではないのでしょうか。


貧しき者たちでもモノ作りに励むことによって豊かになれる手法が資本主義であったように私は思います。それがあまりにも成果を上げたので、その手法に特権階級が乗っかってきた。それがためにより一層の発展を遂げる考え方となったのではないかと思うのです。


資本主義という考え方と、それを支えた精神。つまり、社会をうまく機能させるためには、仕組みと精神が必要であるということなのでしょう。特権階級には精神がない。精神とは窮地に立つものだけが培われるものであり、そのメンタリティーで窮地を乗り越えるパワーを得ることが出来るのだと思います。


従って、特権階級が参入しだした時代から、資本主義は本来の目的とは別のものになっていく。重商主義を謳歌していた特権階級によって、重商主義をパワーアップした偏性資本主義に変わったのではないのでしょうか。


そこから労使闘争が起こったような気がします。全ては利潤のために・・・・・そういうのに嫌気が差して共産主義が生まれましたが、結局は理論自体に間違いがあり自滅していった。抵抗勢力がいなくなった偏性資本主義は、一気呵成に終焉へと向かうことになる。


時代は常に逆境にあるものが作る。これらの時代の変遷を考えるにつけ、つくづくそう思います。原動力は常に私たち一般国民であることを忘れてはいけないと思います。資本主義の後に来るものがどういう形になるのかは、私たちに決める力がある。


当然、その理論とそれを動かす精神を考えなければならないと思います。そのヒントは、今私たち一般国民が困っている事ではないかと思うのです。


今の世界経済において、為替相場を見ると日本だけが信用を上げている。過去に金融危機を乗り越えた実績を高く評価されているのかもしれませんが、終戦といいバブル崩壊といい、日本人の精神の中に苦境を脱するものがあると感じます。


次に世界を動かす経済論理は、キリスト教の精神ではなく、恐らく日本的志向が原動力になるのではないかと思っています。つまり、新しい論理は、我々日本人が経済システムとそれを動かす精神を考え出さなくてはいけない。


多分、世界のいかなる国の人も考えられないと私は思います。別に、日本人が優れた民族であるいうことではありません。ただ、歴史的経緯や地理的背景によって培われた特性に基づくに過ぎないと思っています。世界を気にするのではなく、我々が日本人として何を考え世界に訴えていくか・・・・


これによって世界は大きく変わるものと私は考えています。