アメバタでも話題になっているが、人間には生きる目的が必要であると思われます。


夏目漱石が「私の個人主義」という本でも、それを見つけるのは大変であり、全てを賭けて見つける価値のあるものであると言っています。しかし、その逆説的な考えはまずいと思うのです。


それが見つからなければ生きていけない。これは正しくないと思われます。何故なら、生きる目的とはいつ何処で見つかるか分からないからです。10代で見つける人もいれば80になって見つかる人もいる。ひょっとしたら死ぬ間際に気付く人だっていることでしょう。


そう・・・・生きる目的とは気づくか気付かないかであると思うのです。それを探すヒントは日常生活に山のように潜んでいる。注意深く見ていかないと見つからないものであると思います。日々に起こる様々なヒントを等閑にしていては、生きる目的は見つからないことでしょう。


日々起こる様々な出来事に感じる自分という存在に耳をすまして目を凝らして問い続けていくと、ある日ひょっこり姿を現す。いや、それは常に姿を見せていたものであったが、目に付いていた鱗が邪魔をしていたに過ぎなかったという結論で終わるかもしれません。


人は、人に様々な影響を与え、また様々な影響を与えられる。それは自らが持つ自然の目を曇らせる働きを持つし、またその曇りを取り払う働きも持つ。人は、自ら選んで自らになったわけではなく、与えられた自らに気付くのに時間が掛かるのであると思います。


何故、私は私なのか・・・・・そう考えるのではなく、与えられた私を知り尽くすことが人に課せられた使命であると私は思っています。何故なら、私は私にしか成れず、あなたには成れない。従って、私を知り尽くすことによってあなたを知るしか道はない。


奇跡的な運命という名の下で出会った、私と私の体。短き旅ですがその私に賭けるしか道が無いのです。私を信じる意外に道がないのなら徹底的に信じていくことが大事なのではないのでしょうか・・・・