ネット国民党は、仮称)ネット市民党と変更したいと思います。
草案を二つばかり書いたのですが、一番肝心なものを忘れていました。
それは何といっても設立趣意書であり、何故、そういう政党を作ろうと思うのかということを記さなければ全ては始まらないのであります。我ながらうっかりしていました^^;
まあ、設立趣意書はこのブログを通して発言しているので、読者の方なら概ねご理解いただいているという発想があったから抜けていたものであり、初めてご覧頂く方には当然の如く必要とされるものであるということの違いであろうと認識しています。
このテーマでもある市民政党という言葉、何となく分かるようで分かりづらいということもあるのではないかと思うのです。それは、市民とは誰なのかという定義が具体的ではなく、国民=市民であるという発想に立てば、市民政党という言葉で大騒ぎする必要もないのではないかと思われるからです。
では、現存する政党は市民政党ではないのかという点について考えながら、市民政党を作る意義を示したいと思います。現在、法律上で政党と認められるのは、飽くまで国会議員が作る政党に限られます。つまり、国民が作る政党は法律的な政党ではなく、市民団体、政治団体に過ぎないのです。
このことからも分かるように、市民が作る政党が現存しないという事実があります。もちろん、国会議員というのは国民の代表であり、その代表が作るという事は間接的に国民が作る政党であると言えなくはありませんが、直接と間接では大きな隔たりがあることは改めて言うまでもないと思います。
今終焉を迎えつつある資本主義の最も偉大な功績は、効率を追求するということであると私は思います。それは、政治に世界にも適用されていることであり、効率を考えれば分業や専業という発想に辿り着くのは当然の結果だと思われます。
そして、その効率こそが今人類に大きな闇を投げかけているのであり、人々を窮地に追いやる考え方であると私は考えています。ムダを省き徹底的に効率を追求すると人間そのものの存在すら許さないという恐ろしい考え方に辿り着く。
リストラや弱者切捨てという発想は、効率によってもたらされた悲劇とも言えるのではないでしょうか。かといって、効率そのものが悪いとは私は思っていません。効率を追求する分野とそうでない分野があると考えています。
つまり、経済活動においては効率を考えるのはとても重要なことですが、人間社会や政治の世界では、あまり好ましくないと考えています。少し、話がずれましたが、市民政党とは、人間社会の根幹を支える政治の世界の効率的な考え方を緩和するために必要な組織であると考えています。
経済活動の効率に追い詰められる人類を救えるのは、政治活動であるということです。今、社会では効率を追求する経済社会からあぶれる人が増えています。資本主義が成熟するとこうなるという現実がやっと見えてきたという状況であろうと思っています。
しかし、現実的に言えば、政治の世界を支配しているのは効率であります。つまりは経済に支配されていると言うことです。だから、人々は苦しい。それは我々貧しき人だけが苦しいのではなく、豊と思われている人さえもそう感じているのです。
そこにこの地獄とも呼べるほど苦しい状況から抜け出せない要因があると感じています。人はパンのみで生きるのではないという言葉があります。パンというのが言うなれば経済であり、それだけで人は生きれるものではないということではないかと私は思っています。
経済に立ち向かうのに経済論理は必要ありません。経済論理で経済に立ち向かえば飲み込まれてしまうからです。しかし、実際は政治そのものが経済論理で経済に立ち向かっている。だから、先行き不安となるのです。前にも述べたように、それは資本主義が限界に達し終焉を迎えようとしている証でもある。
それを恐れることなく受け入れることから始めなければならないと私は思います。それを一番受け入れやすいのは誰なのか・・・・・それこそが庶民と言われる一般国民であり市民であると私は確信しています。現制度の破綻は当然ながら末端から始まります。
それを肌で感じもがき苦しんでいるのが我々国民であります。私たち国民一人一人には何の力もありませんが、それがもしまとまれば国を変え世界を変えることが出来る。そして、どう変えれば良いのかを一番知っているのは、政治家や官僚ではなく末端の国民であると思います。
その国民の意思を汲めない政党とは、つまり市民が作った政党ではないということを意味するものであり、そういう既存政党に期待が出来ないのは当然の事ではないでしょうか。だから、市民の手によって市民のための政党を作る必要があると考えて、ネット市民党を国民の皆さんに提案したいと考えました。
これから、様々な困難を経て設立を目指したいと考えています。それは国家や地域をどうするかを考えると言うよりも、むしろ、自分の人生をどう生きるのかを問う活動であると思っています。趣旨にご賛同いただける方は、ご協力いただけますよう心よりお願い申し上げます。