アメリカの金融危機以降、世界的に経済の不安定と破綻への危機感が強まっているように思う。
前にも書いたように、金融工学とやらが出現した頃から、本来の資本主義はその役割を終えたのではないだろうか。商品の生産と賃金労働者が不必要になった金融工学は、資本主義の終焉を教えてくれる。利潤をもたらす為に最も効果的にしかも迅速にと考えると、資本主義はまどろっこうしいものになってしまったのだろう。
利益の追求がもたらした悲劇とも呼べるが、資本主義を終わらせるべき内的要因であったのではないだろうか。まさに諸行無常を証明する事実であると私は思う。経済が不安定になり破綻するのではなく、その理論が限界を向かえ新しい理論を待っているのではないかと私は思う。
重商主義から資本主義、そして共産主義を生み、今や資本主義が終わろうとしている。資本主義を支えたのは産業革命であろうが、その変革期にも今と同じような不安定な状況があったのではないだろうか。重商主義の限界が資本主義を生み、産業革命を引き起こしている。
人類誕生以来、資本主義があったわけではない。この200年余り単に社会を支える基盤であったことは紛れもない事実であるが、言い換えれば、単にそれだけのことである。
そういう現実に直面しながら、世界の多くの国々は資本主義にしがみつこうとしている。資本主義を残したまま、この難局を乗り切ろうとしている。それが尚一層事態を悪化させるとも知らずに・・・・
戦争というものが人類に対していかに悲惨なことであるかを知るために、多くの犠牲と時間を要してきたことは誰もが知るところだろう。しかし、国家を守り国民の生活を豊かにする為には、それしかないと思い込んでいた人たちがいたからそうなったのであり、それは今も同じであろうと私は思うのである。
資本主義経済という理論が限界を迎えているが、それに変わる理論を編み出せない現実もあるのかもしれないが、重商主義から資本主義が生まれたように、変革のヒントは資本主義に隠されているのではないかと思う。
私は、物事がうまく行かないのは問題をキチンと認識していないからだと思っている。問題が問うていることを真摯に受け止めないからその対応が適切に出来ないのだと思う。
この世に神がいるとは思わないが、様々な事柄は常に人類に対して同じ事を問うているのではないか。それは、人が人として生きる幸福であると私は思っている。恐らく、資本主義にしても発生に根幹にあるのはそのことであり、それを願う個人が生み出したものであると信じている。
人が考えたものは必ず実現できるのである。それは、現実の中にヒントがあり、それを人々がどうキャッチするかに掛かっているのではないかと私は思う。一番大切なのは恐れないこと。人はとても臆病な生き物である。その臆病さが人類をここまで繁栄させた要因の一つであると思うのだが、時として多くの悲劇も招いているのである。
経済の破綻を恐れることなく、人の幸福について真剣に考えれば、資本主義の先にあるものが見えてくると私は思う。少なくとも、重商主義の時代からすれば格段に進歩した人類である。その力量からいって恐らく不可能と呼ばれることはないものと考える。