私たちは憲法上は主権者であります。何度も何度も繰りか返して書いていますから、読者の皆さんは聞き飽きていると思いますが・・・・^^;
とは言いながら、実態としては国家に隷属する投票権だけを持ったファンという位置づけになりましょうか。
この状況は国民にとってあまり良い環境であるとは言えませんが、国を統治する独裁者にとっては、とてもやりやすい環境であると思われます。
国民一人一人に主権を与えると言うことは、言い換えれば主権を分散することであり、分散された主権は力を持たない。投票権と批判権を有するのが関の山であり、国家の統治に対して主権を及ぼすことが出来ないという現実を見せ付けるのではないでしょうか。
独裁者が何故独裁者でいられるかといえば、主権が究極的に集中することであり、一人の人間に主権が集中することによって独裁が可能になるわけです。これを嫌った経緯が主権を分散することを思いつき、民主主義なる主権分散システムを思いついたと考えられますが、分散したままでは独裁と似たような現象を引き起すのではないかと思われます。
民主主義にとって大きな課題とは、この分散した主権をどのように集中させていくかではないでしょうか。日本にとっては、この術は産業団体であったように思われます。自民党は農業・土木団体であり、それ以外の政党にはそういうものがなかった。
産業とは仕事であり飯を食う術であり、生活の基盤であります。だから、自民党の独裁政権を壊すことが難しかったのではないでしょうか。しかし、その自民党が一度下野した危機感から、公共事業の削減と農業政策の見直し、郵政民営化など、まるで支持基盤を自ら壊していく行為に及んだ。
そこから独裁政権が壊れ、連立政権となりこの国のビジョンが消えていったような気がします。これから私たち主権者たる国民に問われるのは、どういう基準で主権を集中させていくかではないかと思うのです。分散された主権を集中させなくては、国を動かす事が出来ません。
国を変えていかなければ、国民が抱える問題を解決することは出来ないと思われます。社会を取り巻く多くの問題は一つの事を指している。それは人が生きる意味であり、人の幸福であると思います。決して、政治家や官僚や制度の問題ではない。
今を生きる人々が、自らの悩みや問題から逃げていることが引いては社会や国家を不安定に導いている。それが分散された主権を持つという意味ではないかと私には思えます。一人一人が直面する悩みや問題を集約させていくことが個人個人に分散された主権を集約することになる。
その結果、国家を変え国民が暮らしやすい環境を作り出すことになると思います。
私たち国民に分散された主権とは、限りなく小さく力の弱いものです。でも、それが集約された時には無限と可能性と無限の力を有することを忘れていけないと思います。