私たちが暮らす地球という星は、素晴らしいメカニズムを持っている。
地球が生命に満ち溢れる星として存在する理由は幾つもありますが、その中で一番大事なものは「水の循環」であると思うのです。引力によって水は高いところから低いところに流れていく。そして生命の源と言える海に流れ込んでいる。
しかし、それが流れてしまうだけなら、数日から数年で大地から水は消えてしまうことになるでしょう。海に流れ込んだ水が蒸発し雲を作り雨を降らせる。この仕組みによって、大地に緑が生きれる環境を作り、大地に生きる様々な生命体を育んでいるわけです。
私たち人間もその恩恵に浴しているわけです。
そして、私たち人間に恵を与えるのは、今や経済であり「お金の循環」であります。実は、お金は水と異なり低いところから高いところえと上がっていくという性格を持っています。分かり易く言えば、貧しい人から富める人へと向かってお金は流れていく。
しかし、流れ着いた先の富める人たちは、自然界の海のような存在ではありません。本来、資本主義というものは、集まったお金を再投資して循環させるものだと思うのですが、今や循環する事はなく、海に溜まり続けているのではないでしょうか。
富める者はますます富み、貧しきものは更に貧しくなる。日に日に格差が広がるのは、こうしたお金の基本的な性質に因るものではないかと考えています。自然界を豊にするのが水であるのと同じように、人間社会を豊にするのはお金であります。
今、日本がいや世界がおかしくなっているのは、お金の循環システムが機能していないからに他なりません。それを経済に求めるのは難しいことが分かってきたということではないでしょうか。そして、それを為すのが政治の役割であろうと思うのです。
富める者からたくさん集めるという発想もあるでしょうが、それは自然に反すると私は考えています。富める者が自発的に出すのであればともかく、国家という権限で強制すると反感と不満を生むことになる。
水は循環することで自らの有限性を克服していますが、お金はそのもの自体に無限性があり、循環システムを作るまでもなく、貧しき者たちに与えることが出来るわけです。それはいずれ富める者へと向かいますが、それは気にする必要はないと考えます。
水にしてもお金にしても、ある一定の量を超えると飽和する。富める者が充分に満足すれば、いずれは自らが循環システムの一躍を担うようになるからです。そういう一人一人の関係が循環システムを築きながら相互に助け合う環境が出来た時、国家の役割も終わるのかもしれません。