今、殆ど全ての国民は改革を望んでいる。そして、今行なわれている自民党総裁選の候補者の殆どが改革を訴えている。一般的な構図としては、現状維持を図るのが与党で、改革を目指すのが野党というのが分かりやすいのではないだろうか。


政治改革・行政改革が叫ばれ始めてどれくらいになるだろう。バブル崩壊以降、日本経済が減速してから始まっているのではないだろうか。しかし、未だにそれは大きな成果を出していないし、未だに誰もが大合唱しているのである。


改革を阻むのが官僚であるという人も多い。官僚は、国の存亡よりも自分たちの保身に走っているという人もが少なくない。しかし、官僚は一般国民から見ると遥に国の行く末を考えているし、そういう能力を持っているはずである。


政治家にしても官僚にしても、一般の国民に比べると遥に高い意識を持っている人が多いのは間違いないと思う。ならば、何故そういう人たちが改革が必要な国を変えられないのか。意図的に変えないと見るから答えが見えてこないのであると私は思う。


現状を支えているものは、これまでに培った常識である。様々な失敗と学習を経て培ってきたものである。しかし、改革とはそれを壊すことであり、そこには大きなリスクが存在することを意味するのである。賢い人ほどリスクを避けるものである。


学ぶというのは、顕在するリスクや潜在するリスクを知ることを意味する。つまり、人は学べば学ぶほど身動きが取れなくなるのである。そして、地位が高くなればなるほど、その地位に見合った責任が存在する。政治や行政というものは、国民の生活つまりは人生を左右する大きな力を持つ。


従って、築いた常識と大きな責任の前に改革を成し遂げる人が出てこないのである。口を揃えて改革と言いながら結局何も変えられない状況はこうして生まれるのではないだろうか。恐らく、不平不満を持つ国民が政権を握ったとしても、今のままでは同じ結果をもたらすかもしれない。


民主党の政策を無責任と批判する自民党を見ると、常識と責任が改革を阻んでいることに気付く人もいると思うし、改革を望む多くの国民の中にも、自民党と同じ主張をしている人が少なくないのである。


総選挙では、常識と責任を持った改革をするという自民党と、夢と理想を持ちリスクに挑戦する民主党という戦いになるような気がするが、民主党の顔ぶれを見ると「夢と理想を持ちリスクに挑戦する」という趣は感じられないのである。


日本が抱える問題は、とても大きいようで実は小さいと私は思っている。人が人生を切り開くのは、常識と責任からではない。常に夢や理想を追い求めて、様々なリスクに挑戦することから始まるのである。しかし、長年に渡って、常識と責任ばかりを追い求め教育したツケが日本を窮地に追い込んでいるのである。


国家というものを構築する為には、常に人から始めなければならないと思う。今問われているのは、国家の行く末ではない。人の人生であると私は思う。モノを中心とした社会から人を中心とした社会への転換を迫られているのだと私は感じている。


国民一人一人が、自らの幸福を考えることが一番重要であり、それを為す為に国に何が出来るか、国に何を望むのかという要望を突きつけなければならないのではないでしょうか。常識と責任からではなく、夢と理想から来るもので・・・・