今、国民の不満は弱者切捨ての政治にあると思うのだが、実は自民党にしても民主党にしても弱者を守る政治を掲げている。私は、何度も書いてきたが、弱い者を助けるのが本来の政治の使命であり、民主主義国家というものは、それが目的であると思う。
一部の強い者が支配する君主制と異なり、大多数の弱い者が支配するのが民主制であると思う。普通に民主主義が行なわれれば、自然とそうなるはずなのだが、そうなっていない現状は民主主義が機能していないことを物語っていると思う。
その要因は一体なんなのだろう。日本には古くから「働かざる者食うべからず」という厳しい掟がある。それは、過去にそういう厳しい時代があり、それを乗り越える為に出来た掟である。しかし、豊な国になってもなお、その掟は広く国民の間に浸透している。
そして、それを支えるのが弱者を守らない政治である。いや、そういう掟だから守れないのである。
今、働かないで食う人が確実に増えている。それを社会問題だと騒ぐ人も少なくない。何もしないで食えていければ人は何もしなくなる。それは、動物がそうであるように人もそうだと考えているからだろうか・・・・
弱者を切り捨てるという政治は、人々に恐怖を与える。働けなくなれば生きていけないという生命に対する恐怖である。昔から国を治めるために様々な恐怖によって国民を支配するという手法が多く取られてきた。従って、その方法を未だに使っていることに不思議はない。
国を統治する者の考え方に立てば、国民が抱える様々な問題よりも国の存続の方が優先されるに違いないのである。国民に対して恐怖を与えることで、国民はそれから逃れる方法に懸命になる。その懸命になることが国力を増大し、国家の発展に寄与するのは少なからず事実であると思う。
だけど、その悲壮感が今社会を壊しつつあるのも事実である。無差別殺人、食品偽装、人間関係の構築不全など、国を支えるべき国民がずたずたに壊されている。恐怖に支配されると人は悪魔になる。いや、そうならざるを得ないのである。
こういう事態を引き起こした原因が恐怖にあると知ってか知らずか、今、政治は弱者救済を大合唱している。
しかし、こういうことは弱者である一般市民が力を合わせて成し遂げなければならないと私は思う。年金問題や医療問題、食の問題など、私たち一般市民の生命が脅かされているのである。弱者を守るとは、決して弱い他人を守ることではないと思う。
主権者として国家を左右する力を持ちながら、国家に支配される国民という立場にいる私たちが、その主権を発動し、自らの危機的状況を変えることが今問われている最大の問題であると私は思う。
そのためには、常識を捨てなければならないと思う。「働かざる者食うべからず」というのは、人権を逸脱した非合法な考えである。むしろ、「人は自分の力を最大限に発揮し人々の助けとなる義務を負う」という考え方に変えるべきではないだろうか・・・・
そのためには、個人のパフォーマンスを最大限に引き上げる自然な環境と、それを支える様々な人の力が欠かせないと思う。それを作り出すのが政治の使命であり、責任であると私は思う。人を育てるというのは手間と時間をとてつもなく必要とする。
人を守り育てるということが、結局、国を守り育てることに繫がるのだと思う。法律や掟に支配されるのではなく、現在を生きる人たちが、今の時代にあった法律と掟を構築しなければ、明るい未来は見えてこないと思われる。