人は、頭では十人十色、百人百様と言われるように全ての人が異なることを分かっている。
が、しかし感情ではそれを受け入れることが出来ない。こういう掲示板活動をして早10年以上が経つのだが、それは、誹謗中傷との戦いであった^^;といっても過言ではないだろう。アメバタを見ていても未だにそういう光景をあちこちで目にするし、自分も未だにそういう目に合う。
こういうのは慣れてくるとさほど気にならなくなるのであるが、最初の内は相当に辛いものがあったのは事実である。その度に何度となく発言を止めてしまったことを今でも覚えている。基本的に私は違うのが当たり前だと思っているので、違うほうが面白いと思えるのであるが、普通はそうではないらしい・・・
私の話はこれくらいにして、何故、意見の違う人を排除するのか、どういう感情がそれを生み出すのかが問題であるし、これを乗り越えなければ人類の未来はないとさえ思うのである。
まず一番問題のは、正義という観点であると思う。正義というものは金正日でさえ、アルカイダでさえ持っている。つまり、排除の根源は正義だという点があろう。間違った考えを正さなければ正義が行えないという恐怖があると考える。
しかし、人は自分が間違っていると思うと行動できなくなる。いかなる立場の人であろうとも自分が正しいと思わなければ前に進めないようにプログラムされている感じがする。ここを修正することは出来ないと思われるが、問題は、自分が正しいと思うことを他人が思わない時に現れるのではないだろうか。
昔は、それで殺し合いをしたらしいが、そういうのを回避する為に話し合いを論理を編み出したようである。そうはいっても、この論理というものは、OSのように基盤ソフトとしてプログラムされているわけではなく、生まれてから少しづつ環境によって育まれるのである。
従って、いかなる考え方にもそれを支える論理があり、そういうのを概念と称しているようだ。そこに触れると人は激怒するようである。逆鱗と呼ばれるものであり、冷静さを失うボタンみたいものになっている。それは、当然、人それぞれであり、もちろん、強さもそれぞれであろうようだ。
私は、その時に人が自分を省みるチャンスがあると思うのだが、多くの場合、逆鱗を受け入れるだけのようである。私もそういうものがあったのだが、何故という問いを自分に投げかけていくうちに、むしろ自分の気付かなかった側面を知ることに成功したという経験を持っている。
人って、自分を知り尽くしているようで意外に知り尽くしていないのである。人生とは、色々な表現方法があるが、私は自分という存在を知ることではないかと思っている。どういうときに傷つき、どういうときに怒り、どういうときに喜び、どういうときに悲しむのか。
自分を知るためには、様々な試練が必要である。自分と異なる意見と接するのは最大の試練となる。同じ意見を持つ同志だと新しい発見がしにくいのである。
またまた、話がそれてしまった^^;
もう一つは、その時の気分というものがある。良い気分の時は、異なる意見と遭遇しても寛容になれることが多い。イライラしている時は、その反対である。排除の根源が感情から来るものであるならば、これは当然であると言える。
そして、一番厄介なのが、天の声である。これは、私の基本的なテーマであるところの道徳教育と大きく関係する。道徳教育の目的は滅私である。ワガママを言わない。自分勝手なことを言わないと教育すると、人は何のために生きようとするか想像できるだろうか。
滅私されると透明人間になる。いや透明な存在、つまり人間としての存在がこの世から消えるということ。一言でいえば、神となるのである。実際に人が神になることはできないことは誰でも知っているだろうから、柔らかく言えば、神のような存在である。
自分には否がないと思う人たちである。いや、そんな人間なんてこの世にいるわけがない。それはどういうことかといえば、そういう風に振舞うということである。見せかけるといった方が分かりやすいかもしれない。
経験豊富な私も、そういう人たちとは議論がし辛いのである。当然の如く排除されるのであるが、取り付く島が全くない。いや、そういう島を見せることがないのである。
例えば、どんなに意見が異なる人であっても、親として子育ての大変さを話すと分かり合えたりするのであるが、教育問題で論じている相手が、子どもがいなかったりすることもある。そういう人たちにとって、実際の子育ては関係ないらしい・・・・
結婚していれば、結婚生活の大変さと言うものが、相互理解の鍵となることもある。職業や地位は異なっても、同じ人間として、同じような苦労は避けられないのである。
私は、こうした意見の違う者を排除するという現状は、経験不足から来るのではないかと思う。単に経験すれば良いというものではなく、一人の人間として経験することが重要で、決して滅私をした状態でしてはならないと思うのである。
金正日に対してもアルカイダに対しても、家族の話を持ち出せば、例えば、親が子を思う気持ちなどで相互理解できる事はあると思っている。意見の違いを大きくするのではなく、違いを理解した上で、相互理解を深めることが人には出来ると思っている。
そして、大事なことは排除することではなく、お互いが幸福に生きることであり、それを支える環境を知恵を出して築くことであると考えている。違う考えというのは良きヒントを暮れるものである。この10年以上の歳月を掛けて私も結構成長している・・・・と自ら思っている。
少し長くなってしまったが、ある人からアメバタを退会するというメールを頂き、退会する人がいつかまた戻ってくるようにと願いながら、また、退会しようと思う人が、もう少し頑張ってみようかと思うように願いながら、自らの経験を踏まえて学んだ事を書いてみました。