今の若い人たちは知らないが、今の団塊の世代の若かりし頃の情熱は凄かった。
学生運動 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)という形で現れた情熱は、強大な力の前に潰されてしまった。
例えば、今でもあるが、ネットによる犯罪が増えると、ネット自体に問題があるという考え方になる。当時も、学生運動の問題点を学生運動自体にスケープゴートして鎮圧している。
確かに、強行なやり方には大きな問題があるが、そういうのを見てやり方を示すのが大人である。国家や社会に関心を持つことはとても大切なことである。そこで持つ不満をどう解決するのか。これが政治となる。
暴力で世の中を良くする事は出来ない。暴力とは不満の現れであり、不満を聞き入れない体制が暴力を生むのである。そういう点からすると、現代社会は昔となんら変わってはいないことが分かるだろう。
あの学生運動で学生が学習したのは、体制には逆らえないという現実であり、世の中を変えることが出来ないという失望感であろう。今、日本を牛耳ろうとしているのは、学生運動で情熱を燃やした世代である。40年という時代を経て、体制にのし上がっているのである。
恐らく、過ぎし日の情熱は影も形も残ってはいない。当時逆らった体制と同じ事を繰り返しているのである。とても悲しい現実である。
誰もが、このままの日本ではいけないと思っている。だけど、変える情熱と行動力のある人は出てこないのである。出てくる土壌がないのである。
当時、高校に入学した際のオリエンテーションで最初に言われた事は、「学生運動をしてはいけない」ということだった。それは、学生は不満を持つことを許されないという意味だったのかもしれない。つまり、国家に対して奴隷的に励めということ。
あれから40年という歳月に社会環境は大きく変わってしまった。貧しいあの頃だったから、不満を表現する時間が持てたのだが、豊かになって、豊かさを守る為にはそういう時間を捨てざるをえないのである。
学生運動という言葉が世の中から完全に消え、若く情熱を持った人も少なくなっている。私たち大人に出来る事は、国家や社会に対する不満を自由に表現し行動することが出来る若者を育む土壌を作ることであると考える。
現在と言うのは過去からの贈り物である。今、私たちが抱える問題の多くは過去から送られてきているのである。過去を変える事は出来ないが、未来を変える事は可能である。そのことが一番分かるのは団塊の世代であると私は考えている。