久しぶりに教育について書きたいと思う。


子どもの躾のためには叱るという行為が欠かせないと思っている人が殆どではないだろうか。


私は、これは間違いであると思っている。


それは、自分が叱られた時を考えてみれば分かるのではないか。


私が悪かった。次回からやらない。と素直に悔い改める人はどれくらいいるだろうか?


大抵は、自分が悪いと思っても、どこかで自分を正当化してしまい相手の言うことを素直に聞けないのではないだろうか。


大人ですらそうなのに、ましてや子どもが素直に聞くだろうか。結局、叱ると言う行為は、相手を良くしたいという思いよりも、単なる、自分が正しいという自己主張にしか過ぎないのである。


本当に大事なことは、子どもが自ら考えて行動する力をつけること。それは、学習指導要領にもしっかりと明記してあるのである。


でも、昔は体罰とか平気でやっていた。叱り方も半端なかった。それで子どもたちは言うことを聞いていた。と思っている人が多いとは思うが、それも間違いであると思う。


もし、あなたが叱られたり体罰を受けたりする環境に置かれたらどうするか?我慢して言うとおりにするしかないのである。で、そういう環境から解放されたら、自由奔放になるのである。


つまり、現代社会の問題点とは、最近の教育に問題があるというよりも、昔からの教育に問題があったことを証明しているのである。力で押さえつける教育は思考を育まない。個人の考える力を育てないのである。


何故、そうなったかといえば、個人が考えなくて良い時代から、個人が考えなければならない時代へと変化していったことに気付かなかったからだと思う。


子育てというものには大変な時間と労力が掛かる。いや、自分の子孫として掛けなければならないのである。植物にしても動物にしても何かを育てるとうのは時間と労力を要するものだ。手を抜けば手を抜いただけのモノしか出来ないのである。


子どもをちゃんと育てたければ、しっかりとコミュニケーションしていくしかない。分からないことは分かるまで時間を掛けて話していくしかないのである。それを一気に済ませようと叱ってしまうと、子どもは成長しないのである。


問題は、そういう教育方法は世代を超えて連鎖するということである。現在の悪い状況は間違いなく過去から来ている。過去が良かったように見えるからと言って過去が良いわけではない。過去から引き継いだ問題が時代を超えて表面化しているのである。


だから、我々の世代は、この連鎖を断ち切る努力を必要とされている。これを怠ると未来がもっと悲惨になるのである。