現在は、評論家ブームである。何かで聞いたことがあるが、評論家という職種があるのは日本だけだそうだ。
しかし、政治に関して国民が評論家になってはいけないと思う。
政治に関する評論番組が多いのが原因なのか。それとも国民性なのか。
自民党の腐敗政治を批判はしても、政府の問題点を批判はしても、何も行動しない。
批判することで満足するのだろうか。それとも、どうして良いか分からないのであろうか。それとも、やっても無駄という諦めがあるからなのだろうか。
批判することで満足するのは、何度も言っているように道徳教育の弊害の一つである。悪い政治を自らの正義の視点で捉え、指摘することで納得する。自分が正しいと確認することを目的とするからそうなるのである。
どうして良いか分からないのと、ムダに思うのは、学校教育のお陰である。政府=学校というシュミレーションで、学校を聖域にしてしまったお陰で、政府が聖域になってしまうのである。
日本が民主主義国家で、国民に主権があることを知ってはいても、体が反応しないのである。仏作って魂を入れていないからそうなるのだ。
政治家に問題があることを知っている。官僚に問題があることを知っている。しかし、それを評論しても何も変わらない。そういう点では、私も評論しているように見えるかもしれないが、決して、そういうつもりではない。
問題を抱えている人たちを繋ぎ、困っている人たちを助ける。せいぜい、今はブログに書くだけだけど、いつかは形にしたいと思っている。学校で習っていないので、術を知らないのは私とて同じである。自分の国として、主権者として、歯がゆい思いは誰しもが持っていると思う。