現在、日本の国を憂いている国民は非常に多いと思います。
しかしながら、大抵の国民は自分たちには何も出来ないと思っている。
皆さんは、60年代の日本をご存知でしょうか。学生たちを中心に政治に関心を示す人が熱心な活動を行なっていました。実は、いくら主権者とはいえ国民が政治に関心を持つことは、国家にとってとても厄介な事なのです。
政治に関心を持たせないためには、国民に経済活動に目を向けさせれば良い。当時は高度経済成長の中にあり、政治活動するよりも経済活動をすれば自分たちの生活は向上した。何よりも経済的に自立することを誇りに思う国民性は大いに順応し、一生懸命働いた。
しかし、経済成長の傍ら、主権者たる国民の立場を忘れ、政治はどんどん暴走していった。本来、国民が豊に暮らせれば国家と言うものは存在価値をなくす。もともと思想信条で一つの国家として成り立ったのではないからなおさらです。
そして、バブル崩壊を契機に困る国民が急増していった。本来、主権者である国民を守るのは政府ではなく主権者たる国民である。つまり、国民同士が政治を通してお互いを守りあうというのが民主国家の姿であるはず。
しかし、主権者たる意識の欠ける国民では、政府に守ってもらうという意識になり、自分たちには何も出来ないという思いしかないのである。従って、更なる経済活動によって自らを守る術しかなく、協調すべき国民ではなく、争い合う国民という構図になるのである。
これでは、民主国家の意味を持たない。今、自分の生活が苦しいのは自分のせいだと思う人が多い。大学を出ていないとか、特定の資格や能力がないからとかという理由である。しかし、そういう国家にしているのは政府であることを忘れてはいけない。
味方を変えれば世界は大きく変わる。個人の問題をワガママという視点でしか処理できない状況が、個人の幸福を阻害するのである。個人である国民は、様々な困難を抱えている。決して一人だけではない。全ての人がそうであると思って間違いない。
困った人が政治に関心を持ち、それがネットワーク化すれば、この国は大きく動き出すことだろう。可能性は大いにある。何故なら、憲法がそういっているのである。