むかつく人が増えている。


その原理は何なのかと聞かれたら、あえて道徳教育の弊害であると言いたい。


親が子に対してむかつく原因は、「言うことを聞かない」がトップであろう。


何故、そうなのかと言えば、自分が正し事を言っているという自負があるからである。


つまり、正義を背負うと人は偉くなる。そして、正義に対抗する悪に対して強権になる。


道徳は、人々に正義を教えるものである。つまり、その反対の悪を作り出すことになる。そして、悪は徹底的に排除しなければ社会が健全でなくなるという強迫観念を植え付けるのである。


それが、むかつくの根本でありいじめの原動力になるのである。


自分の言うことを相手に伝える、そして言うとおりにさせると言うのは、この世で最も至難の業なのである。それは、夫婦と言えども子どもと言えども・・・


道徳教育は、そのことを決して教えない。そこに大きな欠陥を抱えるのである。常に、大事なのは相手の立場に立って、相手に分かる内容で相手が本当に理解できるまで話さなければならないのである。


正しいことは誰でも分かるというものではない。また、常に正しいと言うことなどない。状況に応じて言い方や意味合いを変えていかなければならないのである。


一番大切な事は何なのか。言うことを聞かないと言うのは悪いことではない。聞かないと言うのは、つまり自己の判断能力が働いていることを意味する。だから、何故、そう考えるのかということが大事なのである。そこを聞かないことには何も解決はしない。


むしろ危険なのは、自己の判断能力が働いていない可能性を秘める言うことを聞く状態。こういう人たちは、他人を意識する事が出来なくなる。自分を意識できない人が他人を意識できるはずがないのは道理であろう。


そして、残るは感情のみになる。自分が言われたとおりに動く人間は、他人が動かないと許せないとなる。そこでむかつく状態に陥るのである。


人にとって正義は諸刃の剣である。何故なら、正義の御旗を背負うと人は神と同じ存在になるからだ。そこに諍いの原因があり、社会を壊す元が隠されている。人々の争いとは、人々に宿った神同士の争いに他ならないのである。


自分が悪いと思うと争えない。これが人の人たる所以ではないだろうか。つまり、自分にも何か非があるという意識が人々の住む社会を住みやすくするのである。我も人也、彼も人也。日本には絶対的な宗教がないから、人が神になり易い。


だから、道徳教育のような危険な教育は、少なくとも国家レベルでやるべきではないのである。日本という社会を暮らしやすくするために。