人には三大欲求と言うものがあるというのは、誰でも知っている。


食欲、睡眠欲、そして性欲である。では、その次に来る欲求とは何なのかと言えば、自分が必要とされたいという欲求であるらしい。


自分が必要とされるという感覚は人を安定させる。これは、自らの経験で得た感覚なので間違いないと思う。


それを教えてくれたのは家族である。


親にとって子どもとは、ただいるだけで良い存在である。存在自体を必要とされる存在である。


それは、自分が親になって分かったことであり、そのことからして自分の親の気持ちが理解できるのだ。


今、起こっている社会問題の多くは、このことが原因ではないだろうかと思う。


人は必要とされなくなると迷走しだす。それは糸の切れた風船みたいに。


逆にいえば、必要とされることによって地に足が付き、社会と関れるのである。


必要とされたくば、他人を必要とすることである。


親でも良いし、子どもでも良いし、友達でも良い。誰か一人でも必要とする人を見つけられれば成功である。


他人を必要とする自分が、他人から必要とされる自分を浮かび上がらせ、自らの存在を地面に繋ぎとめることができるようになる。


私は、この国や社会をもっと楽しめる環境にしたいと考えている。


具体的な政策提言もしているが、そういうものを実現できる力はないのは分かっている。


しかし、こういう考え方というものは経済的な問題や生活環境の問題など様々な問題に関係なく実現できるのである。


それは、私が経験したことだから書けるのであり、単に理論ではない。どんなに経済環境が良くなろうが、生活環境が良くなろうが、それだけでは人生は輝かない。


人の持つ根源的な欲求をかなえてこそ人生は輝きだすのではないだろうか。他人を気にし過ぎてていると自分が見えなくなる。


生きていく中で一番やってはいけないのは、自分を見失うことである。恐らく、それを防いでくれるのも他人から必要とされているという実感であろう。