知っていると分かっているの違いは実に大きい。
何故そうなるかといえば、経験が伴わないからだ。知識として持っていても、それに関する経験がなければ持ってないのと同じ事になる。いや、下手に知っていれば厄介な問題を引き起こすのである。
論語に「学びて思はざれば則ち罔(くら)し、思ひて学ばざれば則ち殆(あやふ)し」というのがある。知っているだけで経験がなければ何も出来ない。逆に色んな経験をしても知識がなければ、経験を活かせないという意味だろう。
前者は、官僚や教師や政治家といった国家を導く人たちの事を指すように思うし、後者は、国民の精神状態を示しているように思う。それぞれが欠けているのである。逆に言えば、国家を導く人たちが経験豊富な国民に真摯に耳を傾ける事が出来れば、また、知識に欠ける国民が彼等の知識を活かす事が出来れば、この国は格段に良くなるだろうということになる。
今の社会はとても危うい。残虐な事件の多発やそれを助長する個人環境の孤立化。悩んだり考えたりするだけで何も学ぼうとしない国民性は非常に危険であるといわざるを得ない。
そして、そういう社会に適切な対策が打てない官僚や政治家たち。知識の塊が経験を軽んじることに起因するのは間違いないと思う。彼等がもっと経験の中で思うことを大切にすれば、行政の対応は大きく変わると思う。
失ってから気付くものがある。親であり時には子であり、友であり、仕事であり、環境である。自分は知っているというのがいかに分かってないかということを人生は教えてくれるのではないだろうか。