掲示板に書き込みをしていて思い出したので、あたらしいテーマを作りました。
題して「誤解されている言葉の意味」
第一弾に「自分を大切にするのと自己中心的であることの違い」を考えたいと思います。何故、この言葉を取りあげたかと言えば、世の中の問題の多くにとても密接に関係しているように思えたからです。
現代社会は人を大切にしない社会になっています。人と言うのは厳密に言えば「人の想い」であるといえるでしょう。どうしてこういう状況に陥ったのかという事については何度も書いてきたので割愛します。
人というのは自分でもあるし他人でもある。それを大切にしないというのは結局、自分を等閑にしているということであると私は考えます。何故、そうなったのかと言えば、自分の意思を突き通すことをワガママとか自己中とかいって批判してきたことに原因があると思うのです。
それは大きな勘違いであると私は思います。本来、自分の意思を大切にして突き通したければ、相手とコミュケーションを計り相手に納得してもらう必要があるのです。実は日本人は、ここが苦手なのです。目を見れば分かるとか以心伝心とか、言葉以外の伝達方法に頼る傾向にある。
過去にそういう時代があったからなのでしょうが、それは聞き手が我慢していたに過ぎないか、反論することを許されない時代であったというだけの事。
自分の意思を通そうとすれば、相当な労力を要求されます。まず最初にしなければいけないのは通したい相手を徹底的に分析しなければならない。相手の主義主張を把握し、納得してもらうための戦略を立てなければならない。
そういうことをやっても初めからうまくはいかない。見識の甘さが分析に不備をもたらしたり、発言に不備をもたらしたりして失敗ばかりになるでしょう。大事なのは、それだけの苦労をして自分の意思を通すということ。それが本来の自分を大切にすることであると思います。
人と言うのは皆違うので、皆が違う意見を持っていてもおかしくない。そういう他人に対して自分を大切にするための方法は他人を知ることから始めなければならないのです。めちゃめちゃ面倒くさいのです。
多くの場合、経験の不足から失敗をする。失敗すると大抵の場合は「裏切られた」と他人に責任を転嫁してしまうのです。他人が自分を裏切るのではなく、他人は他人の道を歩くのであって、それを見極められない自分に問題があることに目を向けない。
そうやって、他人と接することが面倒になり、結局は自分の世界に閉じこもってしまう羽目になる。いかにもそれは、自分を大切にしているように見えるが、他人とのコミュニケーション能力を退化させ引いては自らの可能性を潰しているのであります。
何事も最初からうまくいくことはありません。沢山の失敗の中で力がついてくるのです。年寄りほど他人と接する力があるのが本来の姿のなのですが、この国の年寄りを見れば分かるように、あまり芳しくないところを見ると、昔は良かったというのが嘘であったと想像できます。
自己中というのは自分を大切にするのではなく、むしろ粗末にしているといっても良いでしょう。幼い頃は自己中から始まりますが、それを周りが自分を大切にすることの意味を教えていかなければならないのです。それを単に自己中だと批判して、自分を大切にする意味や術を教えないでいることが大きな問題であると考えます。
自分を本当に大切にするのは、自分だけだと言っても過言ではありません。自分には何が出来るのか?自分にどういう力や才能があるのか?はたまた、何をしたいのか?などなど。自分を活かすための最善の努力を惜しんではいけないと私は思います。