全国紙に掲載が予定されていたが、岩手・宮城内陸地震により掲載されなかった秋葉原無差別殺傷事件に対する宮台真司・首都大学東京教授(49)のコメントがMIYADAI.com Blogに載せられている。..........≪続きを読む≫
という記事が出ていた。賛同する人は多いようだ。でも、事はそれほど単純なものではないと思う。第一、友達と一口に言っても千差万別であり、いれば良いというものでもない。逆に悪い友達に誘われ犯罪に手を染める人も少なくないのである。
本当に自分の人生にとって大切な友達、いや人に限らなくても良い、人の発する言葉だけでも良いのではないか。友達を作るのは大変である。人には相性というのがあり、それは例えば食べ物や音楽の好みと同じような個人の趣向に影響を受けるものである。
恐らく、好きな人がいてもその人の全てを好きになる事は不可能である。逆もそうで、嫌いな人とて全てを嫌いになる事は不可能である。もし、そんなことはないという人がいれば、それは全てを見ていないに過ぎないのである。
そういう不確実な要因に基づく友達関係をうまく築けないのは当たり前であり、友達がいないということが問題になることはおかしいと思う。むしろ、友達がいる人はとてもラッキーであるという認識が妥当であると思う。
むしろ、大切なのは、自分が未知を踏み外そうとする時に考えさせるきっかけがあるかどうかではないだろうか。そういう人がいればベストだが、むしろいないほうが多いはずである。
私は、ネットの環境がそういう役目を担っているように思えるのだ。今は、ネット犯罪と呼ばれるように、むしろ悪い環境という印象を拭えないが、あくまで一部であり、ネットを通して立ち直った人はそれを大きく上回ると考えている。
世の中と言うのは不思議なもので、例えば未然に防げた犯罪はニュースにならない。つまり、表に出ないのである。本当にネットに悪影響ばかりが蔓延していたら、これだけ繁栄はしなかったであろう。聞くところによると、加藤容疑者の書き込みに対して、勇気付けるメッセージもあったそうであり、その言葉が届かなかったということに問題があるのかもしれない。
人は聞く耳を持っていれば何とかなる。耳を閉ざした時に恐ろしい事態への幕が開くのである。社会は、人が聞く耳を持てる環境を用意しなければならないと思う。