今、社会で問題になっている様々なことに対して、政府の対応は対症療法を行なうのみである。


例えば、先日の秋葉原の事件以降、ネット犯罪予告への対応、ナイフ所持規制の検討など、起こったことに対してのみの対応をしています。しかも、まじめに。


例えば、官僚の天下りが問題となれば、天下りを阻止する為に直接天下り出来ないように対応する。ネットの内容が問題になれば、ネットを見せないようにする。


何でもかんでも対症療法。それで、本当に問題解決する気があるのか?と疑いたくなります。起こってくる問題に対して、その現象のみを見ていても本当の改善策は出てこないのではないでしょうか。


問題の根本を考える力がないのか、分かっていても出来ないのか、微妙な感じもするのですが、恐らく前者であろうと推測されます。対症療法ばかりに終始していると、やることばかりが増え物事は改善するどころか悪化してしまう。


終いには、何をやって良いのか分からなくなる。どうして良いか分からなくなる状態が一番危険であると思います。恐らく、今の政府の状況はそれに近いものがあり、そういう政府を見て国民が不安に感じるのは当たり前なのかもしれません。


社会問題は、社会を見ても解決策が出ては来ない。社会に暮らす一人一人の人間をしっかり見つめなければヒントは見つからないのです。政治とは困っている人を助けることが使命であります。決して人々や社会ではない。一人の人を助けられないようでは多くの人を助けることなど出来ないのです。


公共という言葉で、個人を蔑ろにしてきたツケが今、社会の様々な場面で問題となって現れています。公共が正義で個人が悪という偏った先入観が社会の問題を適正に捉える目を失わせている。このままでは、状況は年々悪化し続けることでしょう。


しかし、その悪化する事態の被害者は常に私たち国民であることを忘れてはいけないと思います。