国民主権の国家に暮らす主権者の一人として、主権者について考えたいと思う。
昔の主権者といえば君主である。君主とはワガママな存在である。とは言えないだろうか・・・・
つまり、主権者とはワガママで良いのである。自分の立場の主張や困りごとの解決を為すのが主権者の特権ではないだろうか。
日本に民主主義や国民主権があると思っている人は少ないだろう。何故なら、日本人の多くはワガママを嫌うからである。(ワガママな人は多いのだが^^;)そう教育してきたのが陰の主権者である官僚なのだから、ある意味仕方がないのである。
何故そう言えるかといえば、もし、私が官僚の立場で国家を操るとしたらを考えると、国民にワガママを言わせないのが一番だと考えるからである。集団を管理しようとすると、個々人の事情を排除するのが一番手っ取り早いのである。
このことは、過去の官僚に痛い思いがあったから痛感していることである。それは、憲法教育や民主主義を教育を学校で行なったために起こった60年代の過激な学生運動である。個人を野放しにすると国家に対して反抗するという事実を知ったために、それを反省して個人を潰していったのである。
主権者である国民が国家に反抗するという事態は、現実的に民主国家では有りえないのであるが、主権者が官僚であれば、そういう構図があっても不思議ではない。しかし、それは官僚から見た錯覚に過ぎないのである。
日本国憲法を読めば分かるが、日本国の主権者たちは、日本国民たちであるとは書いていない。つまり、国民であれば誰にでも主権が存在することを意味しているのである。当然、私にもあるしあなたにもある。全ての国民にこの国を操る権利を持たせているのである。
しかし、現実的に言えば、主権者に与えられているのは選挙権であり、国を動かす代表者を選ぶ権利である。ここに各主権者の力が分散されていく力弱さを感じるのである。時として、本当に自分が日本の主権者であろうかという疑問さえ抱かせるのである。
何故なら、この国に不満を持っている主権者が多いことである。多数決の原理からして、不満を持つ主権者をゼロにする事は出来ないが、少なくすることは出来るはずである。そうなっていないという事は、主権が適正に反映していない現れであろう。
実は、ここに日本を変えるヒントがあるのではないかと思うのである。そのためには、主権者である国民はもっとワガママにならねばならない。自分たちが楽して生きていけるように国家を動かさなければならない。決して公僕になってはいけない。
私たち主権者たる国民の要望を叶えられない官僚や政治家は首にしなければならない。そういう権力が国家の主権というものではないだろうか。予算がどうのこうの、少子化がどうのこうの、アメリカがどうのこうの、地球環境がどうのこうの、という言い訳を鵜呑みにして、主権者が大人しく引き下がってはいけない。
主権者の望みをかなえてくれる力量を持った政府を作っていかなくてはいけないのである。理屈はどうでも良いのである。主権者が拘るべきものは結果であり、結果を出せるスタッフである。主権者はもっと強くならねばならないと思う。