人生はやっぱり長い。
確かに過ぎてみれば矢のごとくに感じないこともないが、その昔、人生50年と言っていた時代からすると80年というのはかなり長いものであると思う。
その中で、人は幾多の歓喜と苦難に見舞われる。その時は人生を揺るがすような大事と思われるのであろうが、大抵は忘れ去られてしまう。
それは、人が常に未来へ向かうことを意味するのではないかと思う。例えば、小学生にとって大きな問題でも中学生にとっては取るに足らない問題へとなることが多い。仮に中学生にとって大きな問題であっても、高校生になれば大したことではないことが分かる。
仮に、高校生にとって大きな問題であっても、大学生にとって大したことない問題であろう。仮に、大学生にとって大きな問題であっても、社会人になったら大したことない問題になっている。
結婚する時には大きな問題であっても、子どもが生まれる頃には大した問題にはなっていない。子どもが小さい頃には大きな問題であっても、成人するころには大した問題ではない。
これが人の成長を意味するのであろうと思う。人生50年を間もなくに控え、最近、そういうことが冷静に思えるようになった。そう考えると、今、大きな問題が訪れようとも、時が経てば小さくなると思えるのである。
今となっては、中学時代や高校時代、大学時代を思い出すことも出来ないくらいである。子どもが小さかったことすら思い出せないくらいである。
それくらい、私の人生は大したことではないとも思えるのだが、他人から見るほど楽に生きてきたとは思っていない。それは、恐らく全ての人がそう思うだろうと思うのだ。
もちろん、忘れられないような痛ましい過去をお持ちの方もたくさんいる。辛さが大きければ大きいほど忘れられないと言われているが、それは反自然的なことではないかと思う。
自らが自然に反して必死で忘れようとしない限り、時間とともに記憶は薄れていくものではないかと考える。恐らく、そうでなければ人は未来を生きることが出来ないのであろうと思う。
もちろん、それを選択するのは自らになると思う。過去を生きるのか、未来を生きるのか。