憲法といえば、9条が中心であろうかと思うのですが、日本の骨格を決める憲法にはいろんなことが書いてあります。


前にも書いたように、戦後日本では憲法教育が行われていました。しかし、警察予備隊(後に自衛隊)を作る前の年あたりから学校での憲法教育を止めています。憲法に書いてあることとの整合性を保つために取った手段です。


法治国家が築けていない理由の一つになろうかと思います。国民に尊法精神が薄い法治国家は、どうやって動いていくのか?それを動かすのが、道徳教育であると私は考えます。


憲法19条には、思想・良心の自由という記載があります。道徳という言葉を辞書で引くと


「人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。」


とあります。外面的・物理的強制を受けるのが法律で、内面的原理として働くのが道徳という捉え方をされています。ここからも分かるように法律で国家を治めるのでなければ、その反対にある内面的原理で国家を治めるしか道はないのです。


憲法では、日本は法治国家と謳いながら、実際は道徳で国家を治めようとしていると私には思われて仕方ないのです。こういう矛盾が国家自体の基盤を作るわけがありません。


もう少し道徳について考えてみると、内面的原理とあるようですが、それは一体どういうものでしょうか?


人々の内面つまりは心に作用し、人々の行動の基盤となるものと言えば、思想や信条というものになるでしょう。更に深く突き進めば宗教とさえ言えるかもしれません。


憲法20条には信教の自由が謳ってあります。更に、その第二項には「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあります。道徳は宗教とは違うと言われるでしょうが、前にも書いたように、道徳のベースは修身であり、その根本は教育勅語にあります。


つまり、あの帝国主義を支えた思想であり、それを育んだ教育手段であり、天皇を神と考える一つの宗教的要素を持った思想であります。


これまで多くの違憲裁判が行われましたが、学校における道徳教育が違憲であると訴えた裁判は一つもありません。恐らく、道徳教育による実害がないというのがその大きな理由であると思われます。


「人々が善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。」という道徳。これに一体どういう害があると言うのでしょう。


逆に言えば、道徳に沿った生き方をする人間とは、一体どんな人なのか?ということから考えてみると、その問題点が見えてきます。この規範の総体を全部守れる人を世間では何と呼ぶか?恐らく「聖人君子」という呼び方が分かりやすいでしょう。


あなたの周りに、そういう人が一体何人いるのか?残念ながら私の周りには一人もいません。普通の人間としてそういう人はあり得ないのではないでしょうか?そういう人に近い人を宗教界に見ることが出来ます。宗教界にいるとということは、俗世間ではないということです。


つまり、道徳の教えを守って俗世間で暮らせば生きていけないことであると私は思っています。日本という社会の中でどう生きていくのかを教えるべきなのに、かたくなに守ることによって生きていけない術を教える。だから、この国には自殺者が多いのではないかと私は思っています。


国民に、この国で生きていく術を教えるのが学校教育の基本だと私は思うのですが、現実は全く逆であり、国の教育に従っていくと生きていけないという結論が待っていると思います。最終的な立場は、失業者であったり負け組と呼ばれたり、ホームレスと呼ばれたりするのでしょうが。


結局、具体的な方法は自らが選択したに過ぎず、多くの国民は自分が悪いんだと思ってしまうわけです。そう思うように仕向けられているから仕方がないことですが、そうし向けたのは誰かを探ってほしいと思います。


道徳教育の根底は「滅私」です。わがままを言わない、我慢強い国民を育成するためのプログラムであります。そして、それは人の自我が育成される段階(幼少期)で強烈に行われます。滅私=善で自我=悪という徹底した刷り込み教育が行われているわけです。パソコンにおけるOSのインストールと同じ原理です。


学校教育は全ての国民が通る通過点です。ここを牛耳ることが国家を牛耳ることと等しいわけです。国民は国家から首根っこを押さえられている。だから大人になってからも何もできないのであると私は考えています。


誤解されては困りますが、私は、道徳教育を否定しているのではありません。国家が道徳教育をしてはならないと言っているに過ぎないのです。子どもたちを育むのに、それなりの道徳教育は必要だと思っています。しかし、それは家庭であったり地域であったり、民間の学校でやるべきであると思います。


それよりも、国家として国民に教えなければいけないのは、この国の憲法であり民主主義であろうと思うのです。しかし、それを始めると恐らく多くの混乱を来すでしょう。だけど、それを逃げていては日本という国の将来はないと考えています。