子育てをしていると、いつの日か子どもからこう問われる日がくるはず。
これに対して、的確に納得いく答えを用意できる親は殆どいない。
何故なら、親自身が学校での勉強で役に立っていることが殆どないからである。
そもそも、学校で習う勉強をしていて将来役に立つのは、「教師」だけなのである。
端的にいえば、学校とは教師を育てる場所なのだ。
そういう場所に、一般社会に出る普通の国民を通わせても、殆ど時間の無駄なのだ。
恐らく、学校で一番のメリットは友達を見つけることだったのだが、昨今はそういう状況にないらしい・・・
国は、応用力がない子どもたちに嘆いているが、学校でメリットを受けた人たちがいくら考えても、子どもたちに応用力がつく教育を施すのは難しいと思う。色々と問題のある学校教育だが、そういう話はまた別の機会に。
さて、子どもから「何故、勉強しなきゃいけないの?」と私が問われた時、私は素直に「分かりません^^;」と答えました。親と子どもの関係において、最も大事なのは「正直である」ことだと私は考えています。
もっともらしい理屈をこねても、年月が経てばおかしいと思われてしまう。お互いの信頼関係が子育てには欠かせないと思っていました。
そして、それが言えるのはきっと親だけだと思うのです。親とは、子どもの人生に対して大きな責任を負います。教師は、その場しのぎの嘘を言っても許されるかもしれませんが、親自身が死ぬまで責任を負う子育てには許されないことだと考えています。
で、答えがでないこの質問に対して、「どうすればよいか?」と問いかけてくるので、とりあえず「困るのはお父さんではないので、やりたくなければしなくていい」と言っておきました。
こういう発言に対して、妻からは無責任という批判を浴びたのは言うまでもありません^^;しかし、勉強しろしろといって子どもが勉強するようになるのなら、こんなに楽なことはない。
よく、大人が仕事するのと同じように、子どもは勉強が仕事という親を見かけますが、これはおかしい理屈なのです。仕事は対価を得る為に目的を持ってやることですが、勉強には対価がない。良い成績対価と言えるかといえば、誉められることで対価を感じられる子どももいますが、一般的ではないでしょう。
それよりも、勉強が分からないことを悲観的に考える傾向が強いのではないでしょうか。嫌いなことに身が入らないのは当たり前なのです。その当たり前を覆すところから日本の教育内容は歪んでいるのです。
人間教育で最も重要なのは、その人がいかに飯を食えるようにするかです。学校の勉強をしても一般的には飯が食えない。日本の教育は師範学校に過ぎないのです。そこに我が子が合わないからといって嘆く必要はないと思います。
むしろ、合わないほうが当たり前であるということです。
困るのはお父さんではないから、という言葉がポイントになっているのですが、ということは勉強しないと子ども自身は困るのです。学校の授業内容が分からなくなると、普通は不安になってきます。それでも、上の子は「給食が美味しいから」という理由で頑張っていましたが、とうとう助けを求めて来ました。
人間は多くの場合、困ったことになる経験をすると、それは良い学習になるのです。小学3年生の夏休みは、自発的に猛勉強をしました。お陰で、親があれこれ言うことなく、自発的に高校卒業まで勉強していたようです。
すべてのことは自らやるようにならなければ、本当に身につかないのです。恐らく、それは大人ならば誰もが分かっていることではないでしょうか。なのに、親になった途端忘れてしまう。
子育てとは、親を育てるゲームみたいなものです。常に子どもと対峙するというより、自分自身と向き合うことを求められる。そういう中で、自分をコントロールし、かつ子どもが飯を食えるように育む責任があると私は考えています。