最近は、男女同権、男女平等という言葉が一般的です。


前にも書いたように、平等・対等という拮抗した関係はとても不安定なものです。


夫婦の場合はどうかと言えば、拮抗した関係から始まり、やがて主導権争いになるのではないでしょうか?


これはとても危険な道です。これをやるから離婚が増えるのです。私も若い時分はそうでした^^;共働きであったのですが、疲れているので楽しようと考えていました。当然、ケンカばかりに。


何故、愛し合って結婚した夫婦間で自分が楽をしようとすればケンカになるのか?そこに「愛」はないのか?なんて考えたりもしました。もちろん、ケンカの原因は些細なことです。例えば、食事の後片付けや洗濯や掃除などといった・・・


大きな希望と決心の元で結婚したのはうって変わって本当に些細な問題が、大きな問題に見えてしまいます。多くの場合、どちらかが我慢する結果となることでしょう。そうすることによってうまくやろうとする。幸せになるために結婚したのだから・・・・


ある意味、夫婦生活とは我慢比べ、忍耐力を鍛える場なのかもしれません。人間って実にわがままな生き物です。人生とは、この自分のわがままとどう付き合うのかがテーマの一つになるのかもしれません。


結局、惚れた弱みというのが鍵になる。ということで、私が妻の意見を尊重していくようになりました。しかし、それは飽くまでその場しのぎであることを忘れてはいけないと思います。今でこそ、忍耐力を鍛える場というような考えを持てますが、若い頃はそうした冷静な見解を持てるはずもなく、ストレスとなって蓄積されるものです。


こうしたことは、恐らく結婚した人であれば誰しも味わう現実だろうと思います。日常生活の中で掛かる様々なストレス。永遠の愛という保証を手にした代償なのかもしれません。


永遠の愛というのは決して保証されるものではなく、様々な試練を超えた先にしかないと、今振り返ると思えるのです。夫にしても妻にしても、その人にしか分からない様々なストレスと日々戦いながら頑張っている。そう思うと皆同志だな~って思えたりもするものです。


しかし、そうした些細な問題や不満を皆隠していかなければなりません。そうしないと体裁が悪いのです。従って他人の見える部分は良いところだけ。そうなると、多くの人は自分だけが苦しんでいると思うようになり、不幸感や孤独感を味わうことになるのかもしれません。


人生って一度しか無いのです。従って自分が幸福なのか不幸なのかということを計る物差しがない。与えられた現状を他人と比較して検証するほか無いのです。本来、比較できないものを比較しようとするから無理がくるのではないかと思われます。


とはいえ、我が家では妻が主導権を握ることとなります。女性に限った事では無いとは思うのですが、人間には「つけ上がる」という傲慢さがあるのはご承知かと思います^^;つまりは、少しずつではありますが、エスカレートしていくものです。


だから、主導権は大事なんだ~って後になって気づかされることになる。主導権を握られた夫が、何を考えいかに行動するか・・・これが私の結婚生活に課せられた問題であったように思われます。