今日は建国記念日です。


国を作るとは、まさに国民を育てることだと思います。


多くの国民は、結婚し夫や妻という存在になります。


結婚生活23年を迎えようとする現在、つくづく思うのは男と女は決して分かり合えないということ。


しかし、それは悲しいことではなく素敵なことであるということです。


分からない部分があるから魅力があるわけで、分かり合えるとつまんない^^;とは思いませんか?


男と女が分かり合えないという事実というか私にとっての真実を発見できたのは、実は二人の娘がいたからであると今は思います。ということは、当然、二人の娘のことが全く分かってない(笑)わけで、血の繋がった子どものことtが理解できない父親が、赤の他人の妻を理解することは到底不可能であるという、ごく自然の理屈を導き出したわけです。


ということで、それは結婚してから相当後になって気が付くことであり、その間大いに苦しんだことは言うまでもありません(T_T)


で、夫婦の原点とは何かと言えば、この人と結婚したいと思った瞬間の気持ちではないかと思います。私の場合は、その思いが特に強かったと思っているのですが、世の中の多くの夫婦は、特に新婚さんは、きっと自分たちの方が強いと思うことでしょう。


この人と結婚できなければ、私の人生は無味乾燥。恐らく多くの夫婦はそういう想いからスタートしているはずです。星の数ほどいる男女の中から、たった一人を伴侶とする。精子と卵子の結合ほど低い確率ではありませんが、宝くじの一等を当てるより低い確率であることは間違いありません。


そういう奇跡的な運命的な出会いから、予想だにしない人生が始まるわけで、後は、それをどう楽しめるかが勝負になろうかと思うわけです。


一番重要なことは思っていることとやっていることの不合理をいかにして気づくことができるか。それは子育てにも共通して言えることです。人は思ったようには動かない。それは、相手にとって自分が思ったように行動していないという事に他ならないわけではないでしょうか。


夫の妻育て、おやじの子育てというのは、言い換えると、妻を育てる過程で夫である自分が教育される。子どもを育てる過程で父親である自分が教育されるということであったと思います。


常に大事なのは自分が成長すること。そして、困難と言うのは自分が成長するまで「もう勘弁して」っていうくらい押し寄せてくる。逆に言えば、成長することで年々困難は減っていくという事ではないかと思います。


人間とは決して知性的な動物ではありません。まさに感情的な生き物です。その感情をどうコントロールしていくかの訓練が人を育てるということであろうかと思います。つまりは、国民を育てるということは国民の感情をどうコントロールするかで決まる。


学校では全くやっていないことであり、恐らく、学校では全く反対のことをやっている。知性を育てても豊な国民は出来ない。結局のところ疎外感と閉塞感、孤独感に苛まれて社会は壊れていくのではないかと思います。


今後は、折に触れて妻との23年間を振り返ることもやっていこうかと思うわけです。